民具補記
            
 チョウナづくりの家
 私たちの居谷集落の田辺性を名乗る家の先祖は、昔、松之山の田辺性の旦那様の家が没落してそこに居られず奧へ奧へと落ち延びてこの地に至ったという言い伝えがあります。

チョウナ
 この地に住み着いてから分家を二軒出したその一軒が私の家の本家であったと聞いております。分家兄弟にあたるもう一軒は今の神社の下にあったとのことですが長男が現在の松代から田代に至る道路工事で土砂の下敷きとなりなくなったとのことでした。屋号はツンネであったそうです。その亡くなった人の弟がいたそうですが、この土地ではとても食っていけないと周りの人達の反対を押し切って北海道へ移住したとのことでした。
 その家や私の本家の家屋は私が子どもの頃には、まだ昔のままでしたので遊びに行ったときにその造りを見た記憶があります。
 その時の記憶に残っているのは真っ黒な柱が平らではなくでこぼこしていたことでした。すでにその時に200年以上たっていたものでしょう。後で話を聞いたところ柱はすべてチョウナという大工道具で削ったものだと言うことでした。また、その家は現在の茅葺き屋に比べると高さがかなり低い造りでした。
 チョウナは私たちが子どもの頃にもまだ大工さんが使っていましたが、主に茅葺き屋の「うわどうぐ」とよばれる梁などを削るときに使われていました。
 チョウナは写真のような道具で自分の足の方に向けてカンカンと叩くようにして削ります。2人以上の大工さんが仕事をする場合にはチョウナで削る音が合うように調子をとって仕事をするのが子どもには不思議に思われました。小休止のときにも片手で調子を合わせていたことが強く印象に残っています。チョウナ削りも仕上がると驚くほどきれいでした。削った後のウロコのような紋様がなかなか味わいのあるものでした。
 現在では、もはやこのような柱までチョウナ造りの家は石黒では見ることはできません。

文 田辺雄司〔居谷〕