民具補説 ガラス製のハエとり器とハエとり紙 昭和の20年代までは、どこの家にも農耕用の馬や牛がいました。牛馬は曲がり屋の曲がりの部分に馬屋がありそこで家族の一員のように大事に飼われていました。 そのため、夏季となりますとハエやアブなどが驚くほど多くいました。とくにハエは非常に多くハエ取り紙を家の中に何枚も広げて置きました。 ハエとり紙は内側に粘着性の薬品が塗ってあり二枚を張りあわせてあり、使用するときには開いて粘着性の薬品が塗られた方を上にしてハエの集まりそうな場所に置きました。 ハエ取り紙には夕方になると黒く見えるほどハエの死骸がついているのでした。そのハエとり紙にうっかりして足をついたりすると強い粘着性がありなかなか取れなかったことを憶えています。
ガラス製のハエとり器は半円形で底のガラスを内側に折り曲げたような造りの穴があってハエが入りやすいようになっていました。穴の周りに水をためて油を一滴垂らしておきました。穴の真下にはハエの好む食べ物を置きました。するとそこに集まったハエが飛び立ちガラスの器にはいり穴の周りの水に落ちて死ぬという仕掛けでした。朝仕掛けをしておくと夕方にはかなり多くのハエが水に落ちていました。 しかし、当時のハエの数は今では想像できないほどのおびただしい数でしたからハエ取り紙やガラスのハエ取り器の効果にも限界がありました。そんな状態でしたから当時の人々はハエをそれほど苦にもしませんでした。座敷で昼寝をしていると顔に沢山のハエがよってきますので手拭いを顔にかけて寝ている姿をよく見ました。
文・図 田辺雄司(居谷) |