あとがき みなさんとの約束の文章を今、ようやく書き上げました。思い出すままに書き進めましたので、まとまりのない文章になってしまいました。 そのうえ、6年生の皆さんにとっては少し難しい言葉があるので、読みとりにくい文章になったかもしれません。 太平洋戦争が終わってから、すでに半世紀余の歳月がたとうとしています。戦後35年にして生まれた皆さんには遠い昔の話のように思われるかもしれません。 しかし、みなさんが社会科で学習したとおり、太平洋戦争の犠牲者は日本では300万人余り、対戦国の犠牲者を合わせると3000万人の命を奪ったのです。本当に恐ろしいことです。私たちは、このような戦争を二度と繰り返すようなことがないように、太平洋戦争の悲劇を子々孫々(ししそんそん)に伝えていかなければならないと思います。 そして、大都市のほとんどが焼野が原になったわが国に、アメリカを主とした連合軍がやってきて日本政府に助言をして、民主主義国に変える政策を次々と実行しました。 これが、新しいわが国の出発点となりました。わが国の歴史上で、明治維新と並ぶ大きな改革でした。 また、その歴史の転換期は、かつて日本国民が経験したことのないほど貧しい一時期でもあったのです。 そんな貧しい時代に少年時代を過ごした私たちを、皆さんは気の毒に思うかもしれません。 でも、私たちにとっては、かけがえのない少年時代であり、貧しかったから不幸であったとは思いません。 とくに私たちの子ども時代の生活は自然とのかかわりが深く、その面ではあなた方の暮らしにはない豊かさがあったとのではないかと思います。 また、当時の人気ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の一節にもあるように「昨日にまさる今日よりも、あしたはもっと幸せに」のとおり、どん底の生活の中に希望の光が見え始めた時代でもあり、年々生活が豊かになっていくのが子どもの私たちにも感じとられる時代でした。 私は、今でも、時々、子ども時代を過ごした山や川を訪れます。去年の夏の終わりごろ、釣り竿を手に石黒川をさか上ってみました。所々に砂防ダムが作られたほかは昔のままです。 釣り糸を垂れて、川の流れをぼんやりと眺めていると、40数年前とおなじように川は私に語り掛けてくれるのです。 子ども時代の私たちを育(はぐく)んでくれた故郷の自然は、私たちの心の中にいつまでも生き続け、私たちに語りかけてくれる大いなる汝(神)だと言えるのではないでしょうか。 時は流れて人は去りますが、この大いなる汝は、常に私たちのかたわらに在るのです。 1986.3.8 大橋寿一郎 |