子守と駄賃の思い出
                         大橋洋子
 昭和20年後半頃には、まだ暮らしの中で子供達も歳相応に労力の一端を担っていた時代でした。特に農繁期は僅かな時間でも村内や近所の赤ん坊を子守すると「よしてくいたっけない」と喜ばれるのが子供心に嬉しかったものです。その時にもらう駄賃は、砂糖、黄な粉、コウセンなどでしたが、甘い物がなかった時代に砂糖は何よりの駄賃でした。
 古雑誌を破いた紙に砂糖を入れて、おひねりのように口を絞った駄賃をしっかり握り締めて家に帰ると、さっそく捻じった紙を広げてペロペロ舐めるのですが、黄な粉やコウセンは鼻息やクシャミで吹き飛ばされないように息を潜めながら舐めたものでした。
 子守をする方も小学低学年なので、行くと家の人が白い木綿の紐帯で赤子を負ぶわせてくれました。小さな赤ん坊は頭が不安定なので、赤子の後ろ頭に少し広げた手拭を渡して、その両端を両肩の負ぶい紐に絡めで頭や首を支え、又、髪の毛で赤子の目を突かないように子守っ子の後ろ髪を手拭で覆い、前頭で結んでくれました。
 オシメもその頃は布オムツで、オムツカバーも長方形で腰巻き式の巻きオムツカバーだったので漏れ易く、赤ん坊の足の運動も著しく妨げられるものでした。
 時過ぎて、昭和30年代にはオムツの形式もすっかり様変わりしましたが、子供を負ぶって家事などするのは当たり前の事でした。一人負ぶって、もう一人は囲炉裏と縁側の手前で停まるように帯紐の長さを調節して部屋の柱にしっかり結わえ付けて賄いをしたものでした。
 背中で赤ん坊が眠ると肩の重みと同時に赤子の肌の感触が不思議と首の付け根に心地よく伝わってきたものです。
 平成時代の今、オムツも子守用品も子守姿も随分変わりました。改めて時の移ろいを感じます。
 (福島県在住)