冬の通学の思い出
大橋洋子
子どもの頃(昭和20年代後半)は、学校まで2キロ余りの冬の道は一列に並んで歩いて通学しました。特に新たに雪が積もった日は前の人が歩いた足跡を見ながらその上を歩きました。
石黒では一夜に1メートル位の積雪は珍しくなかったので村の人が何人か輪番でカンジキを履いて子供たちが登校する前に隣村まで道付けをしてくれました。(吹雪の日は大人も子供と一緒に歩きました)。道送り当番は役目を終えると「道送り帳(?)」に日付や名前を書いて隣の家に廻しました。
冬の間には何度か下校時に猛吹雪に見舞われる事がありましたが、そんな時も学校の昇降口まで迎えに来た村人に後先を守られながら下校しました。冬の通学で忘れられないのは雪の坂道と猛吹雪のことです。
上石黒の神社の脇からタカダテヤマのてっぺんまで、一直線に冬場だけの登り坂は一時期下石黒の親戚から学校へ通った子供がいたほど難儀な坂で、毎日「この坂さえなかったら」と思い、途中から足が上がらなくなるのでした。そして猛吹雪の時は、上から覆いかぶさるようにモコモコと落ちて来る雪は灰色に見え、著しく視界が悪いので列の間を空けないように歩きました。吹雪いて来るとフカグツとミノボウシの装いに容赦なく横殴りに吹き付けるので白ウサギのようになり顔はヒリヒリしました。強い向かい風がくると皆一斉に後ろ向きになって飛ばされないように足を踏ん張りミノボウシを握りしめて待ちました。風が通り過ぎて前を振り向くと、道は平らに均されて人の足跡など跡形もなく消え足の置き場に迷いました。道が消えると方向がずれて、道から反れれば一足毎に股下から腰までも雪に沈んで前に進めなくなるので子供心に恐ろしいと思いました。
さらに地吹雪が舞い上がると周囲が何も見えなくなり、列から離れると前の人の姿も視界に入らないのでとても心細く不気味な気がしました。村の入り口の「サワダ」辺りは特に風当たりが強かったように思いますが「ネラ、もうちっとだすけなえ」と言う大人の一声が何より心強く頼もしく聞こえました。
大野からの冬の通学道は、雪崩など安全性や道程を考慮しての事と思いますが、雪の積もり具合や消え加減であちらこちらと度々通学路が変わりました。時代とは言え、昔の子供はよく歩いたものだと懐かしく想い出します。
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