1723年 〔 享保8〕「為取替申定請山扱証之事」    
      
                    

※証文内容

   為取替申定請山扱証之事

一、この度門出村と石黒村寄合村山論仕り候は、古来定落門出村地之内に入込支配仕り申し候。然る処寛文四年辰年出入りに及び取扱いにて相済み双方に取り扱い証文取替え置き申し候処に石黒寄合村にて申し上げ候はボイやカヤ切り刈りの処は総山入会の由申し上げ候。
門出村より申し上げ候は七カ所の内にて切り仕り筈に御座候由申し上げ候之に依り大窪付近惣庄屋中御役所へ御下知取扱いにし埒明けされ申すには門出村寄合の山を見合わせお取り扱いの故双方納得に相仕り候条条。


一、古証文ボイ・カヤ之場山境不分明に付きボイカヤ入会に切り刈り候箇条之在り候に付き出入りに及び此の度御扱いなされ候は、せいた山、屋ひつ山、芋畑この三ヶ所石黒寄合へ残さず相渡し門出村より少しも入込み申し間敷き旨極めなされ候。然る上は畑に成る共立林に成るとも石黒寄合村勝手に次第に永永支配に成られるべく候。
かみ風はり、大風はり、横まくり、上屋敷、下屋敷此の五ヶ所は、古来の通り入会向後も双方入込み支配仕かまつるべき候。
尤も荒地にまかり成り候て又新畑に開き返り候節は先主ただし申さず、捨り候より年数三年過ぎ候はば門出寄合にて作り捨て候ても石黒寄合にて作り捨て候ても双方誰にも勝手次第に開くべく申し候。是は切り替え畑仕来りに申し候。山地村村法式の儀故此の如く相極め申し候事。

一、屋ひつ之内つるねに少々板畑村切り替え畑之在り候。是は作り来たり候畑の儀に御座候えば名所屋ひつの内に御座候共以来石黒寄合村より構え無き御座候尤も畠有る所反別改め絵図に境目致し置き以来出入り是無きように印形致し置き申し候。屋ひつ石黒寄合村にて立山にも仕り候はば以後は畑の障りにも罷り成るべくに付き、くろ七間どおり板畑分畑添えに居た仕置き林には立て申す間敷き候旨扱い庄屋中御申渡しその意を得候。然る上は右畑荒地に罷り成り申し候共反別の通り石黒寄合にて永永構い無く御座候。反別改め書別紙に印形いたし此の証文に相添え双方以来迄所持仕るべく候事

一、右三ヶ所石黒寄合村へ相渡し候屋ひつ、せいた山此の二ヶ所石黒川より北之方板畑尻り門出寄合へ続き候の内に御座候。尤もせいた山は古来より定め請け七ヶ所の内にて前々両村入会に仕来り申し候場所に御座候.此の度お取り扱いにて石黒寄合へ残さず支配に相渡し申し候屋ひつはボイ、カヤ切り刈りの場所に御座候えども入会悪しくに付き向後入会に仕ざる筈に相極め申し候。尤も此の段は、双方勝手を以て相極め申し上げは以来申し訳なく御座候。
川南の方平通りにて御座候。此の内山芋畑一ヶ所石黒寄合村へ残さず〆渡し門出村より入込み申さず筈に御座候。上風はり、大風はり、よこまくり、上屋敷、下屋敷此の五ヶ所は、前々の通り両村入会に仕るべき候。古畑作り荒らし新畑に致す候儀は前か条の通り山地村村法式の通りに仕りべき候事

一、此の度せいた山相添え申すに付、石黒寄合村にて持ち山三ヶ所入会五ヶ所しめて八ヶ所に罷り成り申し候。此の訳は古証文に七ヶ所と之在り候えどもボイ、カヤ切り刈りのわけ別カ条に書き記し之在り候故この度一ヶ所増し候て八ヶ所の積り相極め申し候。此の八ヶ所の外よりは少し成り共石黒寄合村請所曾て御座無く候事

一、右証文に之有り候長面小豆畑一枚の儀古来の通り与惣右衛門持分に相極め候故は永永出入御座無き候事

一、右八ヶ所之場所水落つるね切寄合村へ向かいひら通りに御座候。つるねより外門出村地へ入込石黒寄合よりボイ、カヤ少し成りとも切り刈り申し間敷き候事

一、山芋畑、上風はり、下風はりは境平村へ続き申し候。よこまくりは長面境にて御座候。下屋敷は長面之下通り川より上りの中段に御座候。上屋敷、山芋畑の沢下下屋敷の間に御座候事。
 
一、せいた山は門出寄合の上之方たかな山の次にて高なは門出村分にて寄合上方つるねより、せいだ山つるね迄に御座候。屋ひつは同つるねより板畑切り替え畑つるねまでに御座候。二ヶ所共に上は水落下は川間で跡先境つるね通り嶺より谷迄相違なく御座候事。

一、右八ヶ所の内田方之儀前々の通り門出寄合村支配致すべき候。石黒寄合村にて一畝一歩成りともお御構いなく御座候。

一、せいた山川辺に見取り場新田これ有るに付その用水へ屋ひつより水引取り申し候此の江筋堰所は石黒寄合より少しも障り申し間敷き候事

一、柏崎町宮川四郎兵衛門出村開発新田江筋の儀せいた山之内にて水引取られ申し候田地用水の儀に御座候はば石黒寄合村より障り申す儀無き御座候瀬違山崩または、江欠落候はば水乗り次第に江筋を立替え用水引取り申すべき候。地代等取り申すに及び申さず候。右同人畑永永此方支配に御座候事。

右カ条の趣旨取扱いにて双方一々合点仕り定落し相極め申し候由は永永少しも出入り御座無く候。
即ち八ヶ所山手年貢米八斗宛年々此方蔵所へ相済まし 候はば、此の証文次第に急度埒明け申すべく候その為扱い庄屋中加判を以て取り替えの為証文件のごとし。

         門出寄合村山落主
享保八年八月四日 惣代   長助
         惣代  久兵衛
門出本村   長百姓 与三右衛門
       組頭  五郎左衛門
        同  吉左衛門
        同  籐左衛門
       庄屋  六兵衛
石黒寄合村  
       庄屋  友右衛門
           組頭中
山請主惣代  
     与三衛門殿

前ケ条の通り此の度出入り候に付き御役所へ御下知を得右場所見合定落し山ハッカ所内三ヶ所は、石黒寄合村残らず支配に相極め五ヶ所は前々の通りに両村入会と扱いにて相定め候の条永永相違い間敷き候為後日加判致し置き申すところ件のごとし。

     大窪村
      庄屋  六郎右衛門?
     井岡村
      庄屋  源左衛門?
     花田村
      庄屋  彦太夫?
     広田村
      庄屋  孫左衛門?
     山室村
      庄屋  与惣右衛門?
     大沢村
      庄屋  新次郎?
     岡野町村
      庄屋  籐右衛門?
     高尾村
      庄屋  庄左衛門?
     栃ケ原村
      庄屋  惣左衛門?
     山口村
      庄屋  与左衛門?
     女谷村
      庄屋 弥五左衛門?
     柏崎町
      宮川四郎兵衛?

                                  田辺重順家文書
※門出村に石黒村と同文の文書が保存されていたので文面は省略して、以下当時の関係のみを付け加えておく。

〔門出村文書〕
前文略

○右箇条の趣、取り扱いにて双方一々合点仕定請け相究め申し候故は、永々少しも出入り御座無く候。即ち、八箇所山手年貢米八斗宛て年々御蔵へ屹度相渡すべく申し候。若し相滞り申し候はば何時成り共、右の場所取上げ罷り申すべき候。双方古証文控え置き申し候え共若し以来出入出来仕り候はば、此の証文次第に屹度埒明かし申しべく候。その為扱い庄屋中加判を以て取り替えの為証文件のごとし。
石黒寄合村山請主
惣代 与惣右衛門
享保八年卯八月四日
石黒本村 同 八右衛門
     長百姓 庄五郎
     同   助九郎
     組頭  清五郎
     同   九郎右衛門
     庄屋  友右衛門
 門出寄合村
   庄屋六兵衛殿
   組頭中
  山落惣代 長助殿 


〔門出村文書〕前文略
○前箇条のとおり此の度出入に及び候に付き御役所へ御下知により、右場所見合定め請山八箇所内三箇所は石黒寄合村残らず支配に相究め、五箇所は前々の通り両村入会の扱いにて相定め候此の条永々相違いこれ在る間敷き候。後日の為加判致し置き申すところよって件の如し
      
      大窪村
       庄屋 六右衛門?
      升岡村
       庄屋 源左衛門?
      花田村
       庄屋 彦太夫?
      広田村
       庄屋 孫左衛門?
      山室村
       庄屋 与惣右衛門?
      大沢村
       庄屋 新十郎?
      岡町村
       庄屋 藤右衛門?
      高尾村
       庄屋 庄左衛門?
      栃ケ原村
       庄屋 徳左衛門?
      山口村
       庄屋 与左衛門?
      女谷村
       庄屋 弥五左衛門?
      柏崎町
         宮川四郎兵衛?

            門出村文書