明治の頃のお昼のお弁当の思い出
下石黒 大橋栄一郎
当時、上石黒の学校に近い者がお昼上がりしたが、その他の者は、お昼をもって登校した。
お弁当と言っても当時は、今のような真っ白なご米の飯を持っていく者など一人もいなかった。裕福な家庭の子が、メンツ(薄い板を曲げて作った弁当箱)に黒い粟飯を持って行く程度で、ほとんどの者は、コナモチやチャノコ(屑米を粉にして、粟ヌカを入れてふかし、それを臼でついたもの)であった。
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メンツ |
朝、家で焼いてもらってくるだからお昼までには硬くなってしまう。コナモチなどは懐に入れて自分の肌で暖めて硬くなるのを防いだりする者もいた。
しかし、チャノコはそうはいかない。落としてもなかなか割れないほど硬くなってしまう。落とすとボールのように転がる。転がったチャノコを拾ってはキャッチボールのようにして投げ合って、いやがらせをしたりしたことを憶えている。
「石黒校百年の歩み」から

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