板畑の鎮守様
                   中村治平
 集落の構成が大きくなるにつれ、誰でも、いつでも遠慮することなく寄りあって日頃の鬱憤を発散したり、明日の生気を養ったりするための安らぎの場所が必要となります。そこで、集落中央付近の台地に鬱蒼と茂る杉や天然林の古木に囲まれた所を信仰の象徴として、集落の鎮守境内と定め、熊野三社大明神を祭神に祀ることになりました。
 集落の青年団を始め、有志の率先信仰によって、社殿その他付属の建造物が整備され、小集落の神社としては他の例をみない境内の樹木・建造物共に、おのずと頭を垂れさせる、立派な鎮守様になりました。秋の祭りを始め、お盆や年末年始の参拝は勿論、農閑期日には若い男女が寄り集まって、愛の囁きを交わす姿も珍しくありませんでした。
 大正12年の関東大震災翌年、板畑集落中央の地すべりにより神社境内の西側半分が流失して、杉古木の並木を失いました。
 社殿も危険なため、安全な場所へ仮移転して、新境内の造成を行ないました。大東亜戦争の終結後に社殿を新境内に移築して、現在に至っています。
 今でも、神社の登り旗を掲げる台石や参道石段は跡地の地中に埋没していて、その一部が見られます。