20241011 死にいく自分の最期の状態を明確に経験できる人間は殆どいないといってよいであろう。 なぜなら、肝心の感覚器官そのものが機能不全となるのが死そのものであるからだ。大方の人間は意識が朦朧とした状態で息を引き取るのではないか。 20241016 柏崎日報の10月12日刊の「八石句会九月抄」で「永劫は木洩れ日のなか黄蝶とぶ」という句と出会った。作者は石黒在住で俳号「土百」さん。 想うに作者は、木漏れ日の中に無窮無限の宇宙(神)を感得し、そこに舞う蝶に奇跡的に地球上で生かされている自分を投影しているのではないか。 ちなみに西洋には「木漏れ日」にあたる単語はないそうだ。言葉の意味を説明しても繊細過ぎて外国人には伝わらないとのこと。 歌心のない自分には、ただ感動するだけであったが同じような場面に出会ったことがある。 それは杉林の中で小さな木漏れ日に輝いているツルリンドウの果実との出会いであった。近寄ってツルリンドウと共に木漏れ日に包まれていると、大いなる汝(神)に抱かれているような至福の時を感じた。画像→クリック |
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