20451008 母が生きていた頃のことだが、母の伯母が高齢のため自力で食べることが出来なくなり、水だけで42日生きて安らかに逝かれたことを聞かされたことがある。何度か見舞いに訪れていた母は、人間の生命力に驚いて私に聞かせたのであろう。 40年ほど前のことであるから、当時は点滴や胃ろうなどが普及する前で、老齢で寝たきりになり食べ物も摂取できなくなると自宅で家族が看病し、このように最期を迎えさせることが当たり前のことであった。 しかし、現代では80才を過ぎた高齢者であっても、点滴や胃ろう、または人工呼吸器を取り付けて生き続ける人が少なくないようだ。私の知人も5年ほど前、脳梗塞となり鼻からチューブを入れて延命治療をして1年余りを病院で過ごして亡くなった。 だが、果たして本人はそれは望んでいたのであろうか。ただ成り行きで心臓マッサージによって息を吹き返し、人工呼吸器と胃ろうの器具を装着されて植物人間同様に生き続けたのではなかろうか。 とくに、緊急の場合は本人の意思表示がない場合は成り行きでそうなってしまう。心臓麻痺で苦しんでいる人を前に人間なら誰でも傍観していることはできない。心得のある人間なら救急処置を施さずには居られない。死に瀕している人を前にしたら救助をするのが正常の人間の本能的行動である。それを阻止するためには、死に瀕している本人の意思表示が必要である。 社会の高齢化がいよいよ進む今日、終末医療、尊厳死などについての関心は高まっているようだが、実際に自分の意志を文書として残す人は多くないのでは、と想われる。そのため、家族や医療従事者の方々にとっても厄介な事態を引き起こしているのが現状なのではないか。 さて、自分はどうかと言えば、80才台後半となり、頭脳、目、耳、心臓、消化器官、泌尿器等のすべてに異常が診られ感じられるようになった。就寝時に胸苦しくなることも時々ある。そんな時には「来たな!」と思うが幸い数秒で治まる。ホッとしてそれで済ましている。 だが、よくよく考えて見れば、今の自分は、何処で、何時倒れても驚くには値しない体の状態である。 遅きに失する所であったが、私は、心臓マッサージ、人工呼吸器、胃ろう、血管を通す栄養投与、人工透析等は、一切お断りする遺言書を作製することにした。 |
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