かんぷう
20240402  86才の誕生日を迎える。

20240428  毎朝の散歩道の街路時のバス停にジュースの空き缶が2個ほど放置されている。昨日の朝、自分はそれを横目に見ながら通り過ぎた。ところが今朝、自分の前を歩いていた人がそこで立止まり、ポケットからナイロン袋を取り出して空き缶を入れて持ち去ろうとされている。私は無意識にそこで立ち止まり丁寧に挨拶をした。
 私は自分が今、対峙している人間が自分より断然、優れた人間であるとを瞬時に確信したのだった。
 40数年にわたり人間形成を目指し、思考断片のようなものを書き続けて来たが、自分は己の散歩道に捨てられた空き缶一つ拾うことが出来ない人間で終わろうとしているのではないか。
  

20251120 今朝、起床後の日課となっている散歩にでかけた。ふるさと石黒から初雪の便りが届いた直後だけに真冬を思わせる寒さだ。街路時のメタセコイアも紅葉している。
 さて、忘れもしない本文上の記事のバス停の前を通るとベンチの脇にコカ・コーラの空き缶が捨ててあった。 
 自分は、その前で立ち止まり躊躇せず缶を手にして水分を除き、コートのポケットに入れておいたビニル袋に入れて持ち帰った。 帰ると缶を水道で洗い自宅の空き缶入れの袋に投げ込むと、何かすっきりとした気分になった。
 それは、普段、気になっていながら実行できないでいる事の一つをやり遂げた満足感であった。
 言わば、普段、心では「やるべき」、「やろう」、と思う自分の前に立ちはだかる「無意識の我意」とも言いたいものに妨げられて実行できないでいる事は、この歳になっても多くある。玄関での靴の脱ぎ方から挨拶まで、数え上げればきりがないほどだ。
 すでに自分は米寿の歳だが死ぬまでに、この無意識の我意」を突き破って残りの生活を整え高めたいものだ。
 わが師、ミシュレ・ド・モンテーニュの「日常の生活を整えることの大切さ」とは、このへんのことを我々に語り聞かせたものではなかろうか。
※「偉大な精神とは、高く上がり前に進むことではなくて、むしろ自分を整え自分を制する人のことである」
(モンテーニュ全集1958版-第3巻-「経験について」
.472-関根秀雄訳・白水社)
           
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