20140112  高校生の頃に呼んだ「ベーコン随筆集」だと記憶するが〔家の改築時に処分した本で確認できない〕、ユーモアの対象としてはならないものに「他人の不幸」を上げていた。当たり前のことではあるが、なぜか60年たった今も忘れられない一節である。
 先日、フランスの新聞社がイスラム教の預言者ムハンマドを風刺画を新聞に掲載したことによりテロ攻撃をうけ、12人の死者が出た。
 この事件は、他人の不幸を題材にしたわけではないが、他人が全人格を傾けて祈り、語りかける「大いなる汝−神」を冒涜したことになる。
 それも、言葉で丁寧に批判することとは異なり、品のない戯画で笑いの種にした、相手の気持ちを考えない行為との見方もできる。
 私の知る限りでは、今のところマスコミや政府の反応は100%テロリストに非があるとする報道ばかりである。まさに、テロは断じて許されることではないが、一方の、自分の信仰する「大いなる汝−神」を冒涜された人々の心情を思い遣ることも必要ではなかろうか。
 畢竟、現代において最も求められることは、人間の関係の在り方である。いうなれば相手がテロリストであろうが、「我−汝」の関係のもとに人格を傾けた対話を通して粘り強く解決を目指すという人類共通の理念をが必要なのではなかろうか。

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