20120328 石黒の庵には一幅の釈迦涅槃絵の掛軸がある。ちなみにその掛軸は骨董や美術品として値打ちのあるものではなく、自分には骨董の趣味はない。
 ただ、自分はこの掛軸を見ていると不思議と落ち着いた気持ちになる。

 
 掛軸には、入滅する釈迦の周りに生母をはじめ優れた弟子達の姿が描かれているが、それらには私はあまり関心がない。
 自分の心を引きつけるのは横たわった釈迦と手前の動物たちの姿である。よく見るとゲジゲシまでいる。猫が描かれていないことが昔から話題となっていたが、描かれてはいないが、実はここには、すべての動物がいると観るべきではなかろうか。
 また、植物は沙羅双樹だけが見られるが、草木のみならず、地球上の生命あるものがことごとく、釈迦の入滅を悲しんでいる様子が伝わってくる。
 このことは、まさに生前の釈迦はこれらすべて存在に対して平等の慈悲心をもって対峙していたということを物語る。
 そして、この地球上にかけがえのない生を受けた生物の中で、自分達が最上であるという思いこみ、「無明」を捨てきれない人間を、釈迦は最期まで哀れまれたのではないか。それが故に人間達を自らの近くに招き寄せて最期の慈悲を与えられているのではないかなどと、この絵の構図まで考えたりすることもある。
 昨日〔2012.3.27〕、石黒の庵を訪れたが、小屋は未だ3mの残雪に埋もれていた。久しぶりに涅槃図を見て落ち着いた気分になった。
 仏教書なども時々読んでみるが、自分にはこの涅槃図を見たような気持ちになることはない。
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