20110205 今日の新潟日報に、ハーバード大学名誉教授の入江昭さんの「文明国家はありうるか」という文章が掲載されている。
 氏は1月に起きた米アリゾナ州銃乱射事件後、現地でおこなったオバマ大統領の追悼演説のなかに使われた「シビリティー」という言葉をキーワードに論を展開している。
 つまり、このような事件が度々起こる米国社会では、文明的態度や真の人間関係が、政治に欠けているのではないかと問題提起をする。
 そして、個々人の間でなら可能である文明的な人間関係も、国家となると非常に難しいことは過去の戦争の歴史をみれば分かるとする。だが、現在のようにグローバル化が進み、国内社会と国際社会の区別が明確でなくなった時代においては、対内的には「文明的」、対外的には「非文明的」というのは矛盾しているのではないかと指摘する。
 そして、現在いろいろな形で試されている地域共同体は、経済的なつながりにとどまらずに文化的なつながりにまで発展させていくことが大切であり、重要な課題だと論を締めくくる。

 まさに、現代における最大の課題は、かつて経験したことのない大きなグローバリゼーションの中で、今日生じている政治、社会思想の対立、領土問題、民族対立、弱肉強食的な経済による貧富の差などの負の面をいかにして解決していくかである。
 そのためには、物質的なグローバリゼーションとともに、精神的なグローバリゼーションを重視していくことが何より必要であろう。
 そのためには、個人のみならず、国家間でも真の対話が行われるような世界を目指して進むことが課題の核心となろう。
 そして、その解決への入口の鍵となるものは、「われ−それの人間関係」を越えた、「われ−汝の人格と人格との関係」に立った対話が個人間のみならず国家間でも重視される新しい文化を構築できるかどうかにかかっていると言えよう。
 それは決して容易なことではあるまい。しかし、困難であるからと、はなから諦める文化と、それを理想に掲げて努力する文化では、文化の質に大きな差があることを忘れてはなるまい。
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