学校給食の仕事の思い出
                          田辺リコ
 私が石黒校に給食調理員として勤めたのは昭和31年からでした。初めの5年間は、寄宿舎の子ども達の食事を作りました。家からサツマイモを持っていって焼き芋を作り、子ども達といっしょに食べたあの味は今も忘れません。
 それからは、学校給食を作る仕事をしてきました。子ども達が「おいしい、おいしい」と言って笑顔で食べてくれると、「もっと美味しい給食を作ろう」と頑張らずにはいられませんでした。
 また、入学の時に小さかった子どもが、見上げるように大きくなって卒業していく、その成長した姿を見ることも、毎日給食を作る張り合いとなりました。
 それから、現在の新校舎(昭和54年改築)ができて3年目に、調理員が私1名、つまり毎日たった1人で作ることになりました。生徒数が減少(小中で60人ほど)したこととはいえ、慣れるまでは、相談する相手もなく孤独で辛い毎日でした。そんな時に私を慰めてくれるのはやはり子ども達でした。子ども達が泣いたり、笑ったり、悲しんだりして成長していく姿が私を励ましたくれました。
 今にして思うと、私自身が子ども達と共に人間として成長してきたのだとしみじみと思うこの頃です。
              石黒校閉校記念誌「くろひめ」より