第二室戸台風のこと

 その日、9月16日は、下石黒集落や落合集落の十五夜祭りであった。下石黒では、この日は恒例の仮装盆踊り大会を予定していたが、台風の接近が伝えられ、5時ころから雨が降り出したため中止にすることにした。
 盆踊り等の世話役は昔から村の青年団の仕事であったが、当時、村にとどまっている若者は少なく我々は5、6人の団員で祭りの運営にあたっていた。
 盆踊りが中止と決まると、台風の襲来にそなえ、境内に架設した照明〔提灯〕装置などの取り外し等、例年なら翌日17日朝に行う祭りの後片付けをその日に行うことにした。大太鼓、提灯、祭礼幕、などを神社下の道路わきにある消防小屋の二階や社殿の天井裏に格納した。
 その作業に取り掛かる頃は、すでに雨は止んでいたが風が強まり境内のブナの葉がザーザーザーと音を立てるほどの強風となった。
 片づけが終わったあと、団員は男子だけであったので、村の中央にある共同作業場の二階で軽く一杯、献上された御神酒を飲んで解散することにした。
 風はいよいよ強まり、作業所の窓がガタガタと音を立てるほどだったが、血気盛りの若者のことだから台風など何のそのという勢いで大いに楽しくやっていた。
 私は、ふと、強風で停電する恐れがあることに気がついて、「風で停電するぞぅ、そろそろお開きして片付けようぜ」と言ったところ間もなく停電してしまった。仕方なく備え付けの暗い懐中電灯たよりに後片付けをして、作業場の玄関を出ると村の家々の灯りが消えたため村中が真っ暗やみであった。
 その暗闇の中で、村の前にそびえる城山が「ゴーゴー」と今まで聴いたこともないほどのすさまじい音で鳴っていた。
 皆で、村道を歩き出したが風のためか酒のためかよろよろと体がよろめき歩きにくい。その上、やたら物にけつまずくので何だろうとよく見るとザルや笠、篭など様々な物が道路の真ん中に風に飛ばされてきていたのだった。中には朽ちたグシ〔茅葺屋の飾り木〕の一部も落ちいてた。
 ようやく家に帰ると、家族が心配そうに囲炉裏の周りに集まっていた。
 風はいよいよ勢いを増して、強い風が来るたびに頑丈なジョウヤ造りの茅葺屋がギシギシと音を立てる。当時、85歳の祖母が「こんな大風は生まれて初めてだ」と言うのを聞いて、台風が半端な大きさではないことを感じた。私は、夕方から飲んだ酒の酔いが不思議なほどにすっかり醒めていることに気がついた。
 まもなく、消防団の召集の連絡〔サイレンあるいは半鐘?〕があり、急いで着替えをして〔当時はヘルメットもなく団員用のズボンにはっぴを着て旧陸軍型の帽子を被るのが消防団の正装であった〕集合場所である消防小屋の前に急いだ。団員は10名ほどであったと思う。団長が言うには火災発生に備えて消防ポンプの通る道路を確保するために召集したとのことであった。
 団員全員が集合したのは午後8時過ぎであったと思うが、このころが最高風速〔その後の発表では最大風速52m〕であったと思う。今はすでに伐採されてしまったが、当時消防小屋のうしろにあったケヤキの神木の枝が強風で折れんばかりにゆれていたことを憶えている。
 それから団員が二手に分かれて強風下、集落の道路を回った。通行の障害になる倒木などは思いのほか少なかったが、屋号「イワカタ」の後ろの道路の下をくぐる排水路の口が詰まっていたため、団員の一人が裸になって水中でゴミを排除した。また、屋号「アラシキ」の脇の道にブナの大木が一本倒れていたが、チェンソーや重機のない時代だから簡単に片付けるわけにもいかなかった。幸い、風も徐々に弱まったのでひとまず倒木はそのままにして11時過ぎに道路点検を終了して解散した。

 翌日は、台風一過の晴天であった。
 この日は岡野町で若手消防団の研修訓練が予定されていた。私も参加を命じられていたので、その朝一番のバスに乗った。当時はバスの運転手は村在住の人で最終バスを運転してきて翌朝一番のバスを運転して岡野町まで行くことになっていた。
 朝、7時過ぎに上石黒を発車したバスは、すでに各集落の参加団員でほぼ満員であった。バスは、寄合地内あたりから杉の倒木や稲の立てバサの倒れたものに道をふさがれ、その度に団員がバスを降りて撤去しながら進んだ。
 たしか現在の中之坪ダムから50mほど先のあたりであったと思われるが、バスの屋根部分に垂れ下がった電話線が触れてガリガリという音とともに止まった。降りてみると崖の上の電柱が倒木で傾いたのが原因であることがわかった。
 また、その先を少し進んだところで長い立てバサが道路に倒れていて、ここでの撤去には相当の時間がかかった。そのとき、現在のダムの下流の川をのぞいてみると、川面に上流から流れてきたと思われる稲束がたくさん浮いていた。
 こうして、バスは3時間以上かかって岡野町に着いた。岡野町の病院も屋根に被害をうけた上に、停電中で負傷者の治療が思うようにできないという状態であることを聞いた。このとき高柳町内で2人の死者の他、数名の怪我人がでていたのであった。
 言うまでもなく、消防団員の訓練は中止となり、各自集落に帰り災害復旧にあたるようにとの指示で持参した昼食を食べるとすぐに帰ることにした。しかし、バスはその日は不通となったので、岡野町から徒歩で帰るしかなかった。

第二室戸台風被害〔黒姫地区〕
 当時は岡野町から石黒まで歩くことなど少しも大変なこととは思わない時代であった。秋晴れの爽快な天気であり仲間と足取りも軽く歩いた。漆島あたりで家屋の屋根に杉の大木が倒れている家があった。その他、家の屋根の被害は道路周辺だけても数多く見られた。
 また、朝、バスに乗っているときには気づかなかったが山の杉の木の被害も多かった。それも風の通り道であったかのように一定の幅で帯状に折れているのが一目瞭然に分かり、風の力のすさまじさをあらためで感じる思いであった。
石黒地区では死傷者もなく比較的被害が少なかったのは幸いであったが、山の杉林の被害は場所によってはかなり大きかった。
                         
 〔文 大橋寿一郎〕