註  釈
 
 ○山田爲四郎・甚次郎
 山田氏の祖は鋳物屋で、転じて薬種商となり、財を蓄え、4代嘉十郎に至り始めて町年寄となった。安永元年に大庄屋となった。
 5代爲四郎は寛政年間に大肝煎となり、さらに御用達となり、文化7年には郷士を兼ねた。これより代々大肝煎、御用達、郷士として他を凌いで高い地位を占めた。
 爲四郎の子、甚次郎兄弟等はいずれも傑出した人物で、家産をなした。
 また、一方で風流を好み文学に長じ、文化文政時代から幕末にかけて柏崎風流人の第一人者の地位を保った。
 しかし、慶応2年爲四郎の孫禎助の没後衰退に向かい、さらに戊辰の役の桑名藩柏崎陣屋の廃止とともに、奉誠講等の立替金の取り立て不能となり、ついに破産に至った。
    参照資料−柏崎編年誌