日露戦争戦死者家族への手紙        下石黒 大橋正男家文書 
 


 拝啓 大橋修平君遼東上陸以来
 幾多の困難を排して長途の
 行軍をなし 摩天嶺にて敵と
 戦闘以来各地の戦闘に於いて奮
 戦しまた隊務に於いても軍規
 確守し平素訓練せられし
 実果を表し誠に他の模範
 となりて諸役の勤務に怠り
 無かりしは中隊長に於いても甚だ
 満足の至りに耐えざりしか戦
 機愈に迫り八月二十五日より九月四日
 庭たる遼陽攻撃に際し殆ど
 十昼夜の間連続抗戦に勉め
 時には寝食を欠くが如き場合あ
 りといえども不撓不屈益々勇を
 報じて敵の左翼に迫り九月一日
 
 

 十昼夜の間連続攻戦に勉め
 時に寝食を欠くが如き場合あ
 りといえども不屈不撓益々勇を
 報じて敵の左翼に迫り九月一日
 二日黒英台西北高地の激戦
 に際し奮戦激斗、軍人たるの
 本分を尽くし遂に名誉戦死
 を致さる。然れども我が歩兵第
 三十聯隊は是がために遼陽
 東北方の要地を占領し偉大
 なる功績を顕せり、これ偏に
 御子息等殉国の結果にして
 其の勲功は長しえに後世に輝
 くべし併しながらご家庭の事
 情を顧みれば余等又同情の
 涙を禁ずる能わずといえども此の
 功績ある戦死に就いては夫と其の



 
 
 
 筋よりの恩典これ有るべしと存じ候
 遺骸は懇ろなる火葬の上
 緑陰清和泉の處に墓標を
 樹立致し置き候右取り急ぎ御通り
 知り申し上げ候
            草々
  
  九月二十四日

 第十中隊長 牛島武雅 


 大橋文司殿


 追って遺骨及び私物は最早数日
 以前に当地を発送いたし置き候
 えば其の筋より御受領成され度候
 
 
 読解文責 大橋寿一郎