落合の火事のこと

                           大橋チイノ
 夜明けもほど遠い時刻、深い眠りの中にあった私は、「火事だ、火事だ」という父の叫び声に呼び起こされました。目を開けると部屋の窓が真っ赤です。早く家の外へ出なければと夢中で玄関からとび出しました。
 外に出てみると、すでに、火元の家は炎につつまれ、隣の家にも火が移っていて、見る間に軒を伝い一周して家を包み火柱となって燃え上がりました。
現在の落合集落
 まだ電話も普及していない時代でしたので 最初に火事を見つけてくださった方が、大林〔ブナ林遊歩道のある入り口あたり〕まで走って行って大声で「火事だ、火事だ」と叫んでくださったとのことでした。
 それを聞きつけた他集落の消防団の方々が、まだ道路も十分に整備されていない頃でしたが、重い手押しポンプを引いて各集落から駆けつけてくださいました。下石黒の消防団は集落の墓場脇の急勾配の山道をホンプをひきあげたと後になって聞きました。
 また、村まで駆けつけた消防ポンプも落合川に下りる道が火災現場に近いため熱風で危険なほどの熱さでしたが何とか川辺にポンプを移動して懸命に消火に努めてくださいました。
 
 ですが、火の勢いはものすごいもので道上の2軒の家にも飛び火してカヤ葺き屋根に火が何度か移りましたが、その度に消防団の懸命の消火作業で私たちの家への類焼を防いでくださいました。カヤ葺き屋根の火は消えたようでも中でくすぶっていることもあり、朝まで消防の方々が見守ってくださいました。
 私は、火事の最中、家の大神宮様だけでもと、大急ぎで村のお宮様に持って行って預かってもらいました。
 今でも忘れられないのは、もらい火された家の他村に嫁がれた方が、家でお産をされて未だ日も浅いというのに火事にあって、赤ちゃんを片腕で抱いて「家を助けて! せめて蔵だけでも! 」と叫んでおられたことでした。私は、その姿を見て自分の家の屋根に火の粉が飛んで危ないことも忘れるほど、その方のことが心配だったことを憶えています。