笹餅の思い出

                       大橋洋子

子供の頃(昭和30年代)には「餅」といえばお正月かお祭りや田休みなどの時に食べるご馳走でした。また、普段でも祝い事や遠方からの泊まり客などがあると、餅の準備をするのは精いっぱい心からのおもてなしでもありました。
「ササ」の葉が育つ頃にはちょうど田休みと重なり(昔は田植えも一株ひと株手植えでしたから、5月の下旬から6月の半ば過ぎ頃まで毎日朝から晩まで腰を曲げての辛い田植え仕事が続きました)そろそろ一段落の頃には暮らしの知恵でしょうか「田休み」と称して、この日は野良仕事を休みました。(6月15日だったように思います?)。
 そしてお餅を搗いて食べながら、のんびりと近所同士でお茶飲みなどをして心身を安らいだものでした。ツマキ(チマキ)を結う
家もありました。又、この時期には「ささ餅」と言って、搗きたての餅を食べる分だけ取り分けして、残りは笹の葉に包んで保存をしました。お供え餅の要領で丸め取った餅を相棒が、洗って水切りして置いた笹の葉2枚を十文字に重ねて両手の平で受取り、上下左右の笹葉を折りたたんだら、餅がはみ出さない程度に上から軽く押さえて形を整えて餅のし板に並べて冷ましました。数の内には押されて脇からはみ出た餅はそこだけカビが生えました。笹餅はカビが生えにくく焼いてもほんのりと、かぐわしいササの香がする季節限定のお餅でした。

大野には笹藪がなかったので、この時節には毎年親に「明日は田休みだすけ下回ってササッパ採って来てくれやない!」と言われるので学校帰りは下石黒経由で、途中皆して村外れの笹藪にガサゴソ入って笹の枝をひっと抱き(持てるだけ)両手で抱きかかえながら、あの坂道を大野へ向かって歩いたあの頃が、遠い昔のような、ほんの此間のような…歳と共に子供の頃が蘇り、懐かしさがつのります。
                  (福島県在住)