石黒の植物 暮らしとの関わり補説 シナノキ まな板と包丁は、現在でもどこの家にもなくてはならない台所道具ですが、私たちが子どもの頃(1930年代)は、まな板の材料は主にシナノキが使われました。 梅雨の頃になりますと、決まって、シナノキ専門の山師が村にやってきました。石黒にはシナノキは数少ない木の一つでしたが山師は、シナノキの大木を探して持ち主と交渉してを買い付けました。買い付けると山師はもう一人の仲間とやってきて伐採をして皮をはぎ取って持ち帰るのでした。 子どもの頃に、私は友達と木が倒れても危険のない場所で伐採と皮をはぐ作業を何度か見物したことを憶えています。
やがて、大きなシナノキがものすごい音を立ててドサッと倒れるのでした。 すると、それまで休まずに働いていた二人は地面に腰を下ろして腰のズンギリ(タバコ道具)を取り出して美味しそうにタバコを吸い始めるのでした。キセルの刻みタバコを入れ替えるときには種火を手のひらの上で転がしながら、巧みにキセルにタバコを詰めて種火から着火するのでした。 タバコを吸い終わると、キセルを筒に戻して腰にズンギリをさし込み、もってきた水を飲んでから次ぎの仕事に取りかかるのでした。 次ぎの作業は、幹の太い部分の枝を元から切り離す仕事でした。枝を切り落とすと長い木の3カ所ほどノコギリで皮に横の切り目を入れてから、今度は刀のようなナタで槌でカンカンと叩きながら皮に真っ直ぐの縦の割れ目を入れるのでした。それから、木で作った小さなクサビを、縦にいれた割れ目に順々に差し込み見事に皮をはぎとるのでした。
はぎ取ったシナノキの皮は、カラムシと同様に紡いで上等な織物にしたり、厚手の皮はロープなどの材に使ったと聞いています。 こうして皮をはぎ取られたシナノキは、そこに置き去りにされるのでした。交通の便の悪い時代でしたから皮をむいたシナノキの丸太は運び出して木材として利用するだけの価値はなかったものでしょう。また、シナノキは薪には不適な木でした。 そこで、村人達は、その丸太をもらってまな板を作りました。まず丸太をまな板の長さに切り、厚さご5寸(約15p)ほどに割り板状にして陰干しで1年ほどかけて乾かすのでした。すると翌年には十分乾燥しますので、凸凹の表面を削り、最後にはカンナをかけて平らにします。裏側には両端近くに台をつけます。昔はミンジョ(台所)の床に、まな板を置いてしゃがんで調理をしたので台が必要だったのです。 こうして新しいまな板ができあがるとそれまで使っていたまな板は、よく乾かして焚き物にしたものでした。 シナノキは生育も早く10〜15年も立つと樹皮を取ることができたので、雑木の中では評価されてきた木の一つでした。 文・図 田辺雄司 (居谷在住) |