ムクロジについての思い出                       

昭和20年代の後半頃、子供達はお正月になるとよく羽根つきをして遊びました。羽子板も羽根も自分たちの手作りで、羽子板には好きな絵を描いたりする工夫も楽しみの内でした。
 羽根に使う玉は、上石黒に大きなムクロジの木が一本あり、その実が黒く堅くなって落ちると、学校帰りに拾って大事にしまっておきました。
 ムクロジの種子を石黒では「モクレンジ」と言ったような気がしますが確信が持てません。また、一本しかないムクロジの木は、上石黒の外れにあり、大野への新道(車道)沿いにありました。近くには屋号が「まごはち・しょうべぇ・よこまくり・かんじろ」などの家々があったように思います。
 ちなみに大野の子供たちは大野への旧道を「上の道」、新道を「下の道」と呼んで「今日は上にする?下にする?」と、その日の気分で通学道を選んでいました。
 暮れの頃になると拾っておいたムクロジの堅い実に、コツコツと錐で穴を空けてニワトリ小屋から拾い集めた羽を慎重に選んで穴に差し込んで仕上げるのですが、羽根作りは角度や堅さ、大きさを揃えるなど、あまり柔らか過ぎても良く飛ばないので、あれこれと色々差し替えながら頭上へ高く放り上げてはクルクル落ちて来る羽根の様子を確かめながら完成させました。良く出来るとクルクル回りながら降りてきますが、バランスが悪いと真っすぐにストンと落ちてしまいました。
 30年代に入ると綺麗な絵柄の羽子板や色付きの羽根の既製品が出回りましたが、簡単に誰もが買ってもらえるような時代でもありませんでした。ですがこの頃から人々の暮らしが大きく変りはじめた年代だったように思います。
 また、鶏小屋に友だちと2人で入って一人がニワトリを掴み、もう一人が直接羽を抜いたらニワトリが大暴れをして、バア(お婆ちゃん)にひどく怒られたという話も、今では懐かしい思い出です。
      文 大橋洋子 (福島県在住)