暮らしとの関わり補説
             ヤマノイモとトコロ
 昔は稲刈りもようやく終わり10月の末から11月になりますと霜が真っ白に降り、道に水がたまった牛馬の足跡にザイ(氷)がはります。
 この頃になりますと村人たちが唐鍬(とうぐわ)をかつぎテゴや袋を背負って、ある人は蚕の桑の葉をいれるカゴを背負ってヤマノイモを掘りに山に入っていくのでした。半日で戻ってくる人もいれば1日じゅう山の中でイモ掘りをして夕方戻ってくる人もいました。
 帰ってくると、みんなそれぞれが「今日行ったところはよかった」とか「霜が降りてツルがとんでしまって(ツルの元が離れてしまう)駄目だった」などと話していたものでした。中には太く1mほどの長いイモをわざわざ見せに来る人もいました。
 こうして秋に掘ったヤマノイモは、まず折れたり欠けたりしたものから先に食べるのでした。
秋のヤマノイモ

 食べ方は、「カテメシ」と言ってまず大根を細かく切ってご飯に混ぜて炊きます。一方、ヤマノイモはきれいに洗って細い毛根は囲炉裏の火にあてて燃やしてからもう一度洗ってからオロシガネでスリ鉢の中に下ろしてスリコギ棒でよくかき混ぜトロロを作るのでした。
 汁は、すまし汁と言って味噌を鍋の中に入れ水にとかし煮たてた汁を手桶の中で木綿の袋の中に流し込み、ある程度しぼった後は手桶の柄にぶら下げておきますと少しずつたれ落ちるのでした。
 こうして出来上がったすまし汁をトロロの中に少しずつ入れて混ぜ、ゆるくなってきたころでシャモジで何杯も入れかき混ぜると沢山のトロロ汁が出来上がります。
 そして、家族ですり鉢を真ん中に囲みみんなで大根ご飯にトロロをかけてさらさらと食べるのでした。大人はトロロは大根飯(大根を細かく切りご飯に炊き込んだカテメシ)でなくてはならぬと言っていましたが私たち子供は大根飯は美味しいとは思いませんでした。いうまでもなく大根飯は米の倹約のためでもありました。
 また、やはり秋のころにヤマノイモと同じようなツルであちこちのボイ(低木)にからみついている植物に「トコロ」と呼ぶものがありました。こちらはヤマノイモとは異なり一度や二度の霜ではツルはとばない植物でした。また、ヤマノイモが急斜面で1mほど掘らなければならないのに比べトコロは平らなところを20pも掘ればイモを掘りだすことができました。トコロは、もさもさとした毛根が生えたイモでぎっしり組み合わせたようにかたまってありました。ですから、1か所に2、3本もツルがでていて1袋も2袋も掘ることができました。
 しかし、トコロは食べるまでには手間がかかりました。まずよく洗い細い根を手間をかけて取り除いてから鍋の中に入れて囲炉裏で3〜4時間かけて煮るのでした。
 トコロは苦みがありましたので子供は食べませんでしたが大人はそのほろ苦さが美味しいとよく食べたものでした。中には種類によるものかほとんど苦みがなくこちこちした歯触りのものもありました。しかし、あまり多く食べるとお腹をこわすので注意して食べたようです。
 大人たちは囲炉裏端やこたつの中に足を入れて、みんなでよもやま話をしながら爪や小刀で皮をむきながらトコロを食べるのでした。
  昔の長い冬には雪掘りやワラ仕事などもありましたが、こうして隣近所が集まってトコロを食べながら人間同士の交流ができたことを今でも懐かしく、また有り難い事だったと思っています。
                     文 田辺雄司(居谷)