西方寺の歩み

 西方寺は開基釋 専信が、今より720年余前、建冶2年(1276),遠州(現在の愛知県豊橋市付近)の地で、親鸞聖人の<念仏の教え>に帰依され念仏道場を建立したことに始まります。
 その後、300年の間 当寺は信州井上村に一時滞留の後、越後に入り、頚城郡行野、吉川町田中、片貝と移転してまいりました。
 今より約400年前の慶長2年(1597)3月、縁あって、北条に移り、現在の地に西方寺が建立されました。(当山第十世住職 釋明道のとき)
 その後、享保5年(1720)、安永6年(1777)と50年間に二度の火災に遭いながらも、寛政6年(1794)に17年の歳月をかけて、現在の総欅造りの本堂が再建されて現在に至っています。再建に関する古文書には、住職をはじめ老若男女の門徒が労力を惜しまずに心を一つにして本堂に取り組んだと記されています。

 今ここに、200年の歳月を経た本堂を仰ぎ見るとき、幾多の苦難の中にありながら、念仏の道場を建立し、宗祖の教えを聴聞して、「いのち」を輝かせ全うされていかれた私共の祖先の人々の姿を想わずにはいられません。
 720年余の西方寺の歩みは、すなわち念仏の教えに帰依され「いのち」を全うされていかれた、私共の先人たちの歩みでもあります。