夜水引の思い出 大橋モト 昔(昭和20年代まで)は、夜水引(よみずひき)が行われました。夜水引とは、夜に用水路から自分の田に水を引き込むことですが、毎年、7〜8月にかけて日照りが続き用水の水量が減ると行われました。 私の嫁いだ家の田は、用水路の末にあり、先に行くほど水量は減るので用水には苦労しました。 用水の源は水穴口(花坂新田の奥)ですから下石黒集落の上にあった田までの水路の距離は2q余もありました。 そのうえ、当時は現在のコンクリートのU字溝ではなく地面を掘った水路でしたから長い道中で地面に吸い取られる水も多く、夏になると水量はとても少なくなりました。
私たちは、そのように細くなった用水のことを「牛のえだれ」、つまり「牛のゆだれ」ほどの細い水、と言っていましたが、それを自分の田に引き入れるためにどこの家でも苦労したのでした。 用水の配分は一応みんなが平等になるように配慮されているのですが実際には下流になればなるほど水口から入る水量は少ないのでした。 夏になり、日照り続きで水不足になりますと、夕食後に出かけて行って上流の数軒の他家の田への水口(みなくち)に泥を置いて水量を細めて下流にある自分の家の田に少しでも多くの水が入るようにするのでした。 しかし、水不足はほかの家の田も同様のことであり、他の家の人も夜水引に行っています。ですから、苦労して自分の田に水が多く入るようにして来ても翌日行ってみると少しも水は溜まっていないでがっかりすることは普通のことでした。私が行ってやったと同様なことを他家でもやりますので、一晩に何回も出かけてやらないと甲斐のない仕事だったのです。 それでも、大抵の人は他家の水口を止めてしまうことなく入り口を狭くしておくのでしたが、中にはすっかりふさいでしまう自分勝手の人もおりました。
私には、2人の子どもがいましたが下の子が2、3歳のころで、その子を負ぶって上の子どもは歩かせて家から数百メートルの坂道を歩いて行くこともありました。 子どもは夜遅くなると眠ってしまいますので、現在の親子地蔵の脇に蓑を敷いてその上に寝せて置いて水路を回ることもありました。夜蚊がいますので眠った子供には野良着をかけ顔の部分は蚊よけの薄い布をかけて置いたものでした。 その後、水路の改修工事が行われ現在のようなコンクリートの水路となり夜水引の苦労もなくなりました。 時のたつのは本当に早いもので私も84歳となり、半世紀も昔の話になってしまいましたが、上の子は当時の苦労を子ども心にも身に染みて感じていたらしく、今でも夫婦そろって私のことをいたわり親孝行をしてくれています。 ほんとうに私はこの上ない幸せ者と感謝して毎日を過ごしています。 (下石黒在住) |