植林 田辺勇司 昭和36、7年の頃から木材の需要が増し、2月末より3月にかけて山師〔木材を買う人〕がやって来てあちこちの林の中を歩き回り素性のよい木を探すのでした。そして持ち主と相談し価格が決まり商談が成立すると2、3日後に木挽き職人が入り伐採を始めるのでした。 一度に多くの本数を売るのではなく当座の小遣いに売るので毎年2、3本くらいずつ売る人もいました。 高度成長期で住宅建築が盛んな時代で、木材の価格も良かったのだと思います。周囲が杉材6尺〔約180p〕〜8尺ほどのものが大半で道路端や道路に近い場所では一本7〜8万くらいでした。 そのころ120CCのバイクが7万円でしたので<現在に比べれば大変高値で売れたものでした。 私の家でも木を売って高校の子どもの通学用にバイクを購入したことを憶えています。
私の家の道上にも一本周囲一丈余〔約3m〕、高さ30mほどの杉の大木がありましたが、生えている所が不安定な場所であり大風が吹くと倒れる心配があったので売ることこにしました。 伐採には上越から職人が来て、できるだけ用材としての価値を高めるために木の回りを一尺ほど土を掘って、熟練の職人3人が一日がかりで切り倒しました。 倒す前に、父は先祖代々我が家の歴史とともに育ってきた杉の大木でもあり、ローソクや御神酒を供えてお参りをしていました。伐採の様子を見ている父の目には涙が光っていたことを忘れません。 伐採後、年輪を数えてみると中心の部分はよく分からなかったらしいのですが、三百年余りであったとのことでした。 このころにはこのように杉の木を乱伐しましたので、我が家は急斜面も草刈りをして燃やした後にソバを栽培し、その後で森林組合より苗を買い求めたり、父が杉の実生の3〜4年生をたくさん山から採取して畑に移植しておいて2尺ほどになるとそこに植え付けました。 石黒では自然に生えているものは「熊杉」と呼んで伐採しても根元から何本か生えてきますが、組合から購入する杉は切った後は新芽は出できません。素性がよく成長は早いのですが、雪害には弱く、雪を超すまで木起こしなどの手入れをしなければ全滅してしまいます。 一方の熊杉は自然に次から次へと実生が育ち、成長すると株立ちのように数本が株となって、面積は広くありませんが所々に杉林を形成しています。このように、昔から自生していた熊杉は太りは遅いのですが堅実に自らの力で生きる力を持っているように思われます。 昭和46年に町が過疎の指定振興法地の指定を受けたころより町の森林組合では本腰を入れて、雑木林や草原を切り払い杉の植林を始めました。何年も下草刈りなど手入れを行うので20年もすると丈は伸びますが、丈ばかり伸びるせいか雪害を受けるものも多く見受けられます。 板畑〜中後方面の植林地〔撮影2010.5.12〕 しかし、森林組合を中心とした植林で、現在では昔は見られなかった広い杉林が多くなりました。 〔居谷在住〕 |