田植えのおもいで
                         大橋洋子
 ひとかぶ一株手植えの昭和30年代後半頃の事、ようやく準備が整って田植えが始まると20日間くらい続きましたが村人は色んな形で助けあいながらこの時期を乗り越えました。
 互いに手間でやりとりしたり、近所や親戚同士だと先に田植えの終えた者がまだ残っている他家を手伝って田休みには揃って休めるよう助け合いながら暮らしました。こうした手伝いは忘れないよう帳面に付けておいて農閑期に「とうどよび」と言って手伝ってもらった人々を自宅に招待して手作りごっつぉで礼と労をねぎらいました。
 又、人手不足でどうにもならない時は他集落の知人を頼って田植えの人足を4.5人探してもらうようお願いをすると、ちゃんとみつけて連れて来てもらえるのが本当に有り難い事で助かりました。こういう時は当然賃金払いです。若い女衆が揃うと笑いの絶えない会話で賑やかさと活気がありました。
 他家へ手伝いに行って忘れられないのは「へやけだ」という所は膝上どころか股下までドブドブゥーッと底なし沼に引き込まれるような恐怖感を覚えるほど深い田んぼでした。
 他集落での手伝いは午後4時頃、コビルに出された黄な粉をまぶしたおにぎりをホオノキの葉っぱのお皿で漬物と一緒に食べたあの山の味とホオノ葉の香りを忘れません。そして今、田植え機を目にすると私は田んぼに附けられた枠のマス目が思い浮かんできます。
 確か39年の6月だったと思いますが新潟地震の時は前日に植えた苗はほとんど抜けて畦の縁に真っ青に寄り集まっていて驚き、親戚の手を借りて植え直しをしたものでした。