焚き物の取り込み 田辺雄司 昔は〔昭和のはじめ〕お盆が終わるとと同時に、カンノ焼き、ソバまき、田堀りと次から次へとその時季にやらなければならない仕事が多くありました。 田堀は、毎日家の人が行かなくとも人足集めの責任者に任せてあるので、夕方になると横井戸から濁り酒を出して田堀りの場所に持っていって飲んでもらって明日もよろしくと挨拶してくればよかった。 天気がよい日、マキやボイのニオをくずしてツナギで8〜10本を一束にしてしばつた。〔ボイはネジキでしばってある〕その束を男は3束、女は2束ほど背負って家まで運び二階〔茅葺屋の中二階〕まで背負って上がるのでした。二階の奥からマキは2列に自分の背よりも高く積み重ね、クイゾ〔節などで割れない大きなマキ〕は所々に入れておきました。
杉の葉は春に枝下ろしをしてニオに積んだ葉は燃やすとジョ〔燃えがら〕が燃え上がりますが晩秋の木枯らしの後に沢山落ちる杉の葉は燃えも良くジョもたちません。そのためその時季の晴天の日を見計らって村の人々はスギの葉拾いをしたものでした。杉林のない家は杉林の持ち主に断って拾いました。 お盆すぎに取り入れた焚き物を、その後すぐに使い始めるということはなく、雪の降るまでは野菜のシバ〔支柱〕に使った木や家の周りの林に落ちている枯れ木などを焚いたものでした。どこの家でも翌年の焚き物取り込みの時には前年の焚き物がある程度は残っているように心がけたものでした。このように囲炉裏の焚き物は、どこの家でも倹約をして使ったもので、子どもの頃はよく「焚き物だくな〔無駄〕な早く寝ろ」などと言われたものです。 昔はどこの家でも囲炉裏のそばに「焚き物置き屋」と呼ぶ場所があり、そこに朝の内にその日に焚く薪、ボイ、杉の葉などを出しておくのでした。その他、朝などは藁や牛馬の餌の干し草の固い茎などを切り取ったものを焚いてアンボを焼いたものでした。 朝から、晩まで一日中囲炉裏を焚いていましたので、いつも家の中は煙のホットするような香りがただよい心をなごませました。〔時には陽気の関係で煙がこもり目の痛いこともありましたが・・・〕また、この囲炉裏の煙が屋根裏を巡って茅葺き屋を守っていたのでした。 クイゾは囲炉裏にやっと入るような大きな物もありましたが、どんどんと燃えることもないのですが、火箸で突いてオキ〔熾き〕の部分を取り除くとトロトロと長く燃えて長持ちし重宝がられました。但し、夜寝るときには燃え残ったクイゾの火は十分に水をかけて消しておかないと朝起きてみると赤々と火がついていたなどということもありました。また、コタツは必ずフトンをめくりあげて熱がこもらないようにしてから寝たものでした。 |