焚き物ひろい
                         田辺雄司
 秋も深まり木枯らしが続いたあと、思いがけない暖かい秋日和に恵まれると、村人たちはあちこちの林の中へ、藁や縄を持って焚き物拾いに行ったものでした。
 そして、昼近くになると背負いきれないほどの焚き物を背にして、腰をかがめて枯れ木の杖をついて泥んこ道を歩いて帰ってきました。中には、ブナやナラの枯れ木を沢山拾ってニオを作る人もいました。
ブナ林

 しかし、当時は、どこの家の林でも勝手に拾って良いわけではなく、林の持ち主に断って拾うことが常識でした。秋の台風などの後には太い枯れ枝や生の枝が折れて落ちていることも多く、そんな時には朝からノコギリやナタを持って林に入りニオに積むほどの焚き物を拾う人もいました。ニオを2つも焚き木拾いで作ったなどという人もいたものです。
 私たち子どもは学校〔分校〕でストーブや囲炉裏でのたき付けに使うスギの葉だけ神社の境内に拾いに行くのでした。神社の境内のスギの葉は村人は拾ってはならないことになっていましたので、もっぱら学校のたき付けとして使うのでした。大木のスギなので境内にはスギの葉が積み重なるように落ちていたものでした。私たちが拾い集めたスギの葉は先生が1把ずつ縄でしばり、みんなで学校へ運んで校舎の二階にある〔一階が運動場で二階に教室があったため〕焚き物を入れの物置に積んでおくのでした。
 林を沢山持っている人は、春木をするので焚き物拾いはほとんどする必要はありませんでした。
 石黒では、特に冬期間の焚き物は、生活に決して欠くことの出来ないものであり何としても降雪前に確保する必要がありました。石黒は半年間は雪の中で暮らさなければならなかったので、その量も多かったのです。

 今では、薪を焚く家もほとんどなく、林に入れば至る所で一抱えもある雑木が倒れて朽ちています。のみならず、かつては貴重な燃料となった山のボイも今では切る人もなく伸び放題で山が荒れる原因となっています。