昔の苗代づくり
                           田辺雄司
 当時〔昭和30年前〕は、どこの家でも、3月に入ると1日も早く雪をけして苗代を作らんとヤブ〔雪の上〕が凍みた朝早く、箱モッコを担いでヤマに出かけた。
 前日に掘っておいた苗代近くの傾斜地の雪穴の中で箱モッコの中にベト〔土〕を入れて苗代に運んで、一面に広げておくのだった。 やがて、3月の終わりごろになると、雪の下から田が少しずつ姿を現し、人々も「いいあんべだ」と喜ぶ。
 その頃になるとヤマの日当たりの良い斜面にノノバ〔ツリガネニンジン〕が出る頃で、ヤマからの帰りなどに採って帰り、お浸しにして食べたものであった。
ノノバ〔ツリガネニンジン〕

 4月のはじめにすじ蒔きをしたが、朝のうちは風がないからと、ワラ一そく〔8把〕をもって行って、一筋まいてはワラを燃やして足を温めて再び蒔くのだった。日中に温かくなったころに、ようやくすじ蒔きは終るのだった。
 水苗代は現在の苗代とは違って、最初が肝心で種を蒔いて5、6日すぎると芽が伸びて10cmほどになると苗の根が地中に伸びるように「夜干し」とか「芽干し」とか言って夕方、水を払った。子どもが、ちょうど良い水の量になるまで水の番をしたが時には暗くなることもあった。
 そして、翌朝には少しずつ時間をかけて水を再び張った。この作業を3回ほどすると苗の根は土のなかに入り芽はまっすぐに伸びる。これで、苗代の大切な仕事は一段落するのだった。
 こうして水の管理をしながら田植えの日を迎えるのだった。
 昔は、農薬がなかったのでニカメイガによるズイ虫が繁殖して秋になると白い穂が目立った。その対策として苗がある程度伸びると誘蛾灯と呼ぶものを苗代の真ん中あたりと畦につけた。杭の上に板を打ちつけその上に直径50cm、深さ10cmくらいの金たらいを置いて、その中に水をを入れて石油を少したらしておく。その中央にカンテラを置いた。
 昭和の初めごろ、私は、学校から帰ると家の中の座敷の雑巾がけとランプの掃除〔居谷集落は配電が昭和17年〕をして、夕方、薄暗くなる頃に苗代の誘蛾灯を点
誘蛾灯
けに行った。4合ビンに石油を入れて持って行ってカンテラに詰めて火をつけてくるのが、苗が育つ時期の1週間から10日ほどの日課だった。
 暗くなる頃に火をつけて、しばらく見ているとカンテラの火をめがけて小さな白い蛾が飛んできて火の周りを飛んでいるうちに皿の中の水に落ちるのが見られた。
 だから、翌日の夕方に火をつけに行くとおびただしい数の蛾で浮いていた。これらの蛾が生きていたら苗に産卵してやがてズイ虫となって稲に大きな害を及ぼすのだ。

 夕闇の迫る頃、あちこちの苗代に誘蛾灯がともり、カエルの大合唱が始まる。あのころの光景を今でも懐かしく思い出す。