ムシロ織り
                             田辺雄司
 1ヶ月遅れの正月が終わり、日も長くなり寒さも和らいだ頃になりますとムシロ織りが始まりました。
 その頃(昭和のはじめ)のムシロ織り機は2人織り式であったので、隣近所の女衆が2人で組んで仕事をしたものでした。機械はかなり大きなものでしたので、持ち運びせずどちらかの家で作業をすることが多かったように記憶します。
 ムシロ織りは先ず、42本のコデナワ(細縄)をムシロ織り機に縦に長さ180pくらいに張るのでした。
 織り方はオサという機械の部品(下図参照)の穴にコデナワを通しておきます。そしてそのオサの中央の取っ手を上向きと下向きにすることによって縄が交互に開くような仕掛けになっています。その開いた縄の間にもう1人の人がサス(図参照)でワラをとおすのです。通ったところで上に上げておいたオサを下に落とすようにしてワラを押しつけて織っていくのでした。
 機械の正面でオサを操作する人はワラをもう片方の手で差し出す仕事もしなければなりません。お互いの調子が合わないとうまく織ることはできません。サスを持った人は突き出されたワラを引っ張って縄の間を通したり、押して縄の間を通したりする(左右にワラ株が出て平らになるように)とオサを持った人がオサをドンと落として締めます。その音は聞いていると「ズー、ストン、ズー、ストン」と聞こえ調子よく進む様子は見ていても楽しいものでした。
 差すワラの本数は2、3本で、朝早くから始めて夜なべをしても一日に織れる枚数は2、3枚であったと思います。
 織り終わるとムシロの両端に出ているワラの稲株の方をきれいに縄状編んで(下写真)そろえて切り取りました。
この仕事を「カガリ」と呼びました。こうしてできあがったムシロは天気の良い日に干して縄で作ったタワシでこくる(こすって毛羽を取り去る)のでした。それでも取り去れない大きな毛羽はハサミできれいに切り取って完成するのでした。
 家によっては、できあがったムシロを雪にさらす人もいましたが、雪にさらすと軽くなりますが織り目が粗くなるので余り雪さらしをする人いませんでした。
  ムシロ織りの仕事は寒いニワ(板張りの作業場)でするので寒さを防ぐために女衆は寒さを防ぐために足腰の周りに古い着物を巻き付けてやっていました。
 また、材料のワラ叩きはもっぱら男衆の仕事でしたが、ムシロ織りのワラは余り柔らかくはしない方が毛羽たたないのでよいのでした。

                    参照画像


                             作画 田辺雄司