カッコウの鳴き声を聞くと思い出す事
                            田辺雄司
 私たちが小学校の頃(昭和初期)は、どこの家でも田植えが近づくと田かき仕事に子どもたちが手伝わされました。子どもの仕事は、「ハナットリ」と呼んでいましたが、田の土を平らにかきならすためのマングワ(馬鍬)をひく馬を誘導する役目でした。
 馬の鼻先につけられた長い棒の先をもって馬を田の端から順序よく歩かせてかき残しのないように誘導する仕事でした。その頃は田植え休みもありましたが、それ以前に田かきは始まります。土曜日は学校から急いで帰り家に帰ってから、ご飯に味噌汁をかけて2、3杯食べてて山(作場)へ急いで行くのでした。
 シリットリ(尻取り−馬鍬を操作する人)は兄でした。昔の田は泥深くその上に水が張ってあるので子どもの膝上までもぐります。疲れてくると足を泥と水に取られてしまい早く歩けません。すると「んな(お前)が、馬と並んでいがんけりゃ、馬は曲がることてぇあ、真っ直ぐに進まんけりゃ、おんなじどこばっかり行って、何時までたっても終わらんぞ。ほら、さっさと真っすく前を見て歩けや」と怒鳴れました。
 馬の方も畔の所に行くと止まって畔に生えている草を喰う、すると兄が細い柳の枝で思い切り馬の尻を叩く、馬は驚いて急に歩き出します。前々から馬が暴れてもハナットリの棒は決して離すなと言われているので必死に棒を持って馬に続いて歩きました。馬は早足になると泥水をけ上げるのでハナットリは頭から泥だらけでした。
 そうこうしているうちにチュウハン(中飯)の時間となり田からあがり兄と2人でワッパにつめたご飯を分けて食べました。馬にも豆とシイナもみを混ぜて煮たものと刈った草を食べさせました。
 ご飯と味噌漬けだけでしたが、その中飯の美味しかったことは忘れません。兄はその辺に生えている山アサヅキを採ってきて田の水できれいに洗ってうまそうに食べるのでした。この頃のアサヅキは大つぶで透き通るようになり一番美味しいのでした。
 中飯を食べているとどこかでカッコウののどかな鳴き声が毎年聞こえたものでした。
 こうして田かきが終わると、いよいよ田植えが始まりました。田植えには隣村から女衆が朝早くやって来て、私の家で雑炊に粉餅をいっぱい食べてから「さあ、行ごじゃぁ」と田に行って、一番上手な人が竿持ちで両脇に1人ずつ中に4人くらいでにぎやかに田植えを始めました。
 田植えでの子どもの仕事は苗打ちでした。「田植えには、どこの子どもでも野郎だこてぇあ、ほら野郎、苗をくれや」と言われて、その人をめがけて投げるのでしたがうまく届かないと怒られました。
 田植えの中飯の時にもいつも、のどかなカッコウの鳴き声が聞こえたものでした。

 今年は良い天気が続きカッコウの鳴き声が盛んに聞こえます。「カッコウ、カッコウ」という澄んだ鳴き声を聞いていると、すでに70余年も過ぎ去った子ども時代、小学校4、5年生のころの田かきや田植えの手伝いのことが懐かしく思い出され目頭が熱くなります。