案山子の思い出
                           田辺雄司
  山田の中の一本足の案山子
  天氣のよいのに蓑笠着けて
  朝から晩までただ立ちどほし
  歩けないのか、山田の案山子

 今でも、子どもの頃に学校で習った文部省唱歌「山田の案山子」の一番の歌詞を憶えています。
 私たちが子どもの頃〔昭和のはじめ〕は、山〔田畑〕のあちこちに案山子が見られたものです。特に、秋になり稲穂が出る頃になるとあちこちに案山子が立てられました。案山子は使い古した山着物やモモヒキ、そしてほおかむり用の手拭いなどを真っ直ぐな木の棒や竹を十字にしばったものに着せて作られました。
 通学のときには、いくつも案山子が見られましたので、子どもなりに、あの案山子は良くできているなどと品定めをしたものでした。
 家に帰ってランプのホヤを磨いてから、祖母に山の案山子に団子を上げてくるように言いつけられ、4、5個の団子を新聞紙に包んでもらって田んぼにでかけたことも憶えています。
 秋の日は短く山につくとすでにあたりはうす暗くなっていました。大急ぎで案山子の立っている田んぼの畔に団子を一つずつ置いて来たものです。周りの田はすでに稲刈りの終わった田もあれば今さかんに刈っている田もりました。山では父母も稲刈りをしていたので、西の山に陽が沈んだ頃に一緒に家に帰るのでした。
 祖母は、「ようした、ようした、案山子はネラ〔おまえたち〕の代わりに一日中立ってトット〔鳥〕を追っ払っているのだから大事にしなけらならん。」と言っていました。
 案山子は田んぼばかりではなくスイカ畑や豆畑にもたまに立てられていました。利口な人は案山子の両手に石ころを入れた空き缶をぶら下げておいて風に揺れると音が出るように工夫していました。
 台風の後には田畑の案山子が転んだり笠が吹き飛ばされたりしていました。そんな姿を通学時に目にすると可哀想な感じがしたものでした。
 今は、案山子はほとんど見かけませんが、地域おこしのイベントの「案山子祭り」などで案山子が作られ飾られていますが、まるで人形展のような有様です。私たちが知っている案山子とは、ほど遠いもののように思われてなりません。