大豆まきと草取り
                          田辺雄司
 私たちの子どもの頃〔昭和のはじめ〕は、居谷ではどこの家でも馬や牛を飼っていました。ほとんどの家は自分の土地以外にも集落の共用地を草刈り場あるいは、畑にしていました。かなりのガンクロウ〔急斜面〕でもその頃はカンノ焼きをしてソバを播いていました。カンノ畑は翌年から畑面を耕して平らにして大豆や小豆を播いていました。3、4年は地が肥えているので豆も小豆も背丈が伸び過ぎて実の付きがよくないので粟を播いたりマクワウリなどを作ったりしたものでした。

 また、土地がやせたところには大豆や小豆を播くのですが、傾斜地に鍬で穴を掘って足場を確保してやっと斜面を伝って豆を播いて土をかぶせるのでした。
 また、雨が降っても流されないように斜めに溝を所々に掘って水のはけ道を作るのでした。豆が少し大きくなると間の草を取ってやると共に畑の周りの草をかなり広い幅で刈り取ってノウサギの侵入を防ぐのでした。それでもノウサギの被害が多いときには針金で罠を作って掛けたものでした。
 私たち子どもも学校から帰ると昼飯を食べて、朝、言われた名前の山に小鎌をもって出かけました。
 大豆の草取りよりも、ばらまきにした小豆の草取りは雑草との区別が大変で時々小豆を切り取ることもありました。また、小豆は花の咲く前に必ず草取りを終えるのでした。その理由は大豆の花は触れても落ちないが小豆の花はちょっと触るだけで落ちてしまうからとのことでした。それで、小豆の草取りは出来るだけ早めにやったものでした。

 そのカンノ畑も今では、草木が繁茂し昔の面影もありません。今はただ遠くから眺めて遠い昔のことを思い出しております。