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殺虫剤BHC-その二
各種の害虫に対して接触毒、食毒、燻蒸(くんじょう)の諸毒作用をもち、わが国では1949年(昭和24)から水田や果樹、野菜の害虫防除に用いられた。また、ハエ、カ、ノミなど衛生害虫の防除にも全国津々浦々で広く使用され絶大の効果を発揮した。
(筆者も高校生の頃(1958)に、当時普及した動力噴霧器でBHCの粉剤を撒く仕事を父親に言いつけられてやった。当時は、防護用のマスクなどはしないで半袖シャツ一枚で作業をした。風向きによってはまともに粉を吸い込むこともあった。粉剤を吸い込んだときの一種独特の臭いを今も覚えている)
しかし、その後、自然界で分解しにくいために食物連鎖で生物濃縮され、最終的に人体へ蓄積するおそれがあり、1971年より日本では使用が禁止された。
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古間鎌(ふるまがま)
古間鎌は、長野県北部を中心に生産されている薄刃の片刃草刈鎌で、古間の問屋が全国に広く流通させたことから古間鎌とも呼ばれている。
古間鎌の特徴は、芝付(しばづけ)といって、鎌身とコミ(柄をはめ込む部分)に角度がつけられていて、刈った草が手元に寄ってくるようになっていること、片刃型のために薄くて軽量で切れ味もよいことである。江戸時代の文化文政のころ(19世紀前半)にはその形ができあがっていたといわれている。
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八十八夜
八十八夜は、5月1〜3日頃を指す。立春から数えて88日目のこと。八十八の文字を組み合わせると「米」という字になることを引き合いに、この日は農事暦上特別重要な目安日とされてきた。
また、昔から「八十八夜の別れ霜」と言われ、八十八夜になれば霜も降りなくなり穏やかな気候の訪れる時期とされる。
以上のことから、霜もなく農作業の種まきに最良の時期とされてきた。
とはいえ、豪雪地の石黒では、八十八夜になっても1mもの残雪に覆われている年も珍しいことではなかった。
石黒での種まきは、昔も今も八十八夜を少しすぎた頃が適期である。
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サツマイの「護国」
従来種「元気」と「七福」を交配した、少肥、多収の品種として、1938(昭和13)年に三重県の試験場が、食糧や酒類の原料として作り出したサツマイモとのこと。(毎日新聞)。
太平洋戦争での敗戦の年(昭和20年)には全国で9万4千ha、サツマイモの中で一番多く栽培されていたという。
現在では想像もできない食糧難のこの時代にとっては、まさに救世主ともいってよい品種であった。この芋の「護国」という名前の由来はここにあるのであろう。
ちなみに、「護国」という言葉は、筆者の子どもの時代には、日常的な言葉であったが、今では耳慣れない言葉となってしまった。
2018.1.28の毎日新聞にサツマイモ「護国」についての紹介文が掲載されていた。写真の芋は薄赤色であるが、筆者の記憶では白褐色でずんぐりしたしていて球形に近く表面に浅い溝状の凹みがあったように思う。
食味は「川越」や「太白」に比べて格段に劣った。
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