漬け菜洗い
                          田辺雄司
 11月に入り、冷たい雨が続く頃になると親たちは家の中の仕事は後回しにして外仕事に精を出すのでした。
 昔から黒姫山に雪が2回降ると3回目は村に下りてくるといわれていました。早いときには11月に入るとまもなく黒姫山に初雪が降ることがありました。ですから、その頃になるとどこの家でも男衆は大根取りや家の周りの冬囲いなどの仕事をして女衆は漬け菜やたくあん漬けの用意をしました。
 私の家では屋敷の上から流れてくる沢の水はきれいなのでハンギレ(洗濯桶の大きなもの)にその水を引いて漬け菜や大根洗いをしたものでした。漬け菜洗いをする母や祖母の手が真っ赤だったことを憶えてます。
 ある年のこと家の上にイケス(冬池の鯉を入れておく水溜)で、祖母が漬け菜洗いをしていました。そのイケスは底の岩の間からもくもくと水が湧き出ている様子がよく見える深さ5、60pほどの水溜でした。
 その日は朝から小雨まじりの風の強い日でしたが、祖母はミノを着て笠をかぶってそのイケスで漬け菜洗いをしていました。ところが、途中で急に突風が吹いて、腰をかがめてイケスに身を乗り出すような姿勢で漬け菜を洗っていた祖母はイケスの中に落ちてしまったのです。祖母は全身水浸しになりやっとの思いで家に下りて土間口(玄関)に入り、祖父に助けを求めたのでした。ぬれた着物は寒さの余り一人で脱ぐこともできず祖父の手を借りてようやく脱いで着替えました。そして、囲炉裏で火をどんどん焚いて体を温め,熱い甘酒をのませたりしてようやく体も温まり無事にすんだとのことでした。
 こうして外で洗った漬け菜は、ミンジョ(台所)でもう一度ハンギリの中で洗ってからミンジョの奥にある高さが1m余もある漬け物桶に塩をたっふりいれて漬け込むのでした。漬け込んだ菜の上に板を載せてその上に重石の石を2つ3つのせて置くのでした。そんな仕事が2、3日続くのでした。
漬け菜おけ

 漬け菜桶の隣にはもう一つ大きな桶がありましたがこの桶は、タクアン漬け用の桶で、年の暮れのススハキのときに囲炉裏の上あたりにツルして干してある大根を下ろして塩とコヌカを入れて漬け込むのです。
 漬け菜の方は一週間もすると、少しずつ出して食べ始めるのでした。大家族でしたから漬け菜は毎年2桶漬けたものでした。漬け菜やたくあんは長い冬には絶対に欠かすことのできない食べ物でした。三度の食事の時やお茶を飲むときには大きな皿に山盛りに出して食べたものです。
 家によっては、渋柿を四つ切りにして入れたりして良い味を出す工夫もされました。
 今でも、冷たい湧き水で祖母や母が手を真っ赤にして洗って、漬けてくれたあの漬け菜の味を懐かしく思い出しています。