味噌煮の思い出
                         大橋トシオ
 昔〔昭和30年代ころまで〕は、冬になるとどこの家でも味噌煮をしました。
 男の人達が出稼ぎに行ってからの冬仕事でしたので、私はあっちこっちの家に頼まれて手伝いに使ってもらいました。
 私の家には昔から味噌豆用の大釜があり村の人達から順番に使ってもらっていたのでした。
 
味噌豆つぶし機
まず、味噌煮の前日に、その大きな釜〔一度に4斗の豆を煮ることの出来る釜〕と、かまど、ハンギリ、手回しの味噌つぶし機、その他色々な小道具を、そこの家まで運んでおきます。
 私が手伝いに行くのは、ジロ〔囲炉裏〕で煮る家が多く、夕方行ってジロの「ヨログチ−囲炉裏の縁」をはずして釜を据え付けて、豆を洗って仕立てて帰ってきます。
 翌日、家の人が早く火を焚いておいてくれると、私が行くともう煮たっていることもあります。4斗の豆だと煮えるまでに6時間くらいかかりました。
 豆が煮えるまでは、家の人は終わってから茶ぞっぺ〔お茶請け〕ごしらえをし、私は、かまどの火を焚きながら豆つぶし機やハンギレ等の用意しながら豆が煮えるのを待ちます。
 豆をシャモジの上にのせて3本指で押して煮え具合を見ながら煮ます。指でつまんで自然につぶれる状態が適度とされていました。〔家によっては、煮たその豆の一部を使って納豆を出す人もいました。〕
 ちょうど良く豆が煮えると、樽の上にザルをのせてそこに煮えた豆を入れて煮汁切りをします。それを豆つぶし機の上の投入口にいれて丸いハンドルを手でグルグルまわしますと前の出口から太いうどん状につぶれた豆がニョロニョロと出て来ます。
 それをハンギレに受けて、家の人が適当な大きさの玉〔おおよそ子どもの頭ほどの大きさ〕に丸めます。丸めた味噌玉は板の間にワラを敷いてその上に並べて置きました。
 それらの仕事が全部おわってから、囲炉裏のかまどを取り去ると、ジロいっぱいにオキ〔赤くおこった炭火〕がたまっています。大きなかまどで長時間火を焚くので家の中全体がとても温かく外は雪降りでも春のような暖かさでした。
 それで、隣近所の人達に声をかけて大勢で、朝から作ったゴッツォ〔料理〕を茶請けに夕方暗くなるまでお茶を飲んで楽しいひとときを過ごすことが味噌煮の日のしきたりでした。
 味噌玉は1〜2日たってから座敷の天井に取り付けてある専用の竿に数本の縄に挟み数珠玉のようにしてぶら下げる家が多かったようです。毎日ジロで火を焚いているいるので煙ですすけたり、ひびが入ったり、割れ目にカビが生えます。
 1ヶ月ほどで味噌玉を下ろしてきれいに洗って細かく切り刻んだり、臼と杵を使ったりして砕き、塩と麹を混ぜて大きな桶に仕込みます。当時は味噌の塩あんばいは3割塩が普通でかなり塩辛い味噌でした。また、味噌に野菜などをはさむように入れて味噌漬けを作ることもよくおこなわれました。
 また、味噌は3年味噌が一番味がよいといわれていました。