コウセンの思い出
                           大橋キクノ
 昔は冬になると隣近所の女衆が寄ってコウセンをよく食べたものでした。出稼ぎで男衆のほとんどいない冬は屋根の除雪も女衆でやっていました。お茶の時間になると、屋根の上から「おーい、コウセンを挽いたすけ食べに来いやぁ」と声をかけ合い多いときには4、5人も集まってコウセンを食べてお茶のみをしたものでした。

 石黒では、コウセンは小豆、大豆、トウモロコシ、イリゴ〔屑米〕などでつくりました。作り方は、まず底の平らな煎り鍋で小豆、大豆、トウモロコシなど別々に煎ります。
 煎るときには、焚き物置き場のボイの中から真っ直ぐなタニウツギの枝などを見つけて長い箸を作ってカランコロ、カランコロとかき回しながら煎るのでした。休まずにかき回していないと小豆や大豆が焦げてしまい、コウセンの命である香りが焦げ臭くなってしまいます。こうして、それぞれの種類毎に煎ると一つのミのなかに入れて混ぜ合わせ、冷めてから石臼で挽きました。
 石臼挽きは、まず、あら挽きをしてから2回めは、なるべく少しずつ石臼の中央の口に入れながら根気よく挽いたものです。一度に多く入れるとはかどるのですが、粉が粗くなり舌触りがざらついて味わいが落ちてしまうからです。挽いていると香ばしい何とも言えない良い香りがただよってきたものでした。
 だいたい、一度に2、3升ほどのコウセンを挽き、粉ミルクの空き缶などに入れて置いて保存しておきました。
 そして、食べるときには御飯茶碗に木のシャモジですくって入れて、砂糖や塩を少し入れて熱湯を注いで箸でよく練ってから食べました。固いコウセンとゆるいコウセンは、その人の好みに応じて水加減をして作ったものでした。終戦のころは砂糖など全然なかったのでもっぱら塩を入れて食べたものです。その後、サッカリンという甘味料が普及したのでそれをほんの少しいれて食べると結構甘くて美味しいものでした。
 また、「なめコウセン」と言って浅い小皿にコウセンを入れて砂糖と塩を加えてかき混ぜたものを舌でなめて食べることもしました。戦後、砂糖が豊富になると子ども達は好んでなめコウセンを食べたものでした。
 今考えると当時のコウセンは様々な穀類が混じっていたものなので栄養価も高かったのではないかと思います。

 雪ほりの時に集まると、好きな人は2杯も3杯も食べたものでした。みんなが囲炉裏を囲んで、日頃の雪堀で日焼けした顔をほころばせながら、話に花を咲かせて楽しいひとときを過ごした当時のことをなつかしく今も思い出しています。