仏壇と神棚
              
 私が子どもの頃の記憶では、父は毎日のように薄暗い仏間にある仏壇の前に端座して新しいロウソク(当時は和ロウソク)に火を点し、2本の線香を短く折って火をつけて香炉の中に入れ、抹香を2度振りかけた。
 そして鐘を叩き経本を見ながらロウソクの明かりで読経した。お経は正信偈(しょうしんげ)と白骨の御文であった。
 毎日、読んでいるので暗記しているのに必ず経本を見ながら読経するのが子ども心に疑問に思ったものだ。
 祖父は滅多に仏壇には参らず、もっぱら神棚を拝んでいた。私の家では下座敷の柱時計の脇に、神棚があり、そこに皇大神宮(皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ) が祀られていた。
 祖父は毎朝、祖母にお召し茶碗に炊きたての御飯を盛らせて供えた。神棚は高くて手が届かないので下図のような用具を作ってそのまま神棚に掛けて置いてお参りをするのだった。
 その後、祖父は皇大神宮様を下座敷に置くのは申し訳ないと言って、上座敷の方に棚を作って東向きにして備え付けた。今度は、今まで以上に祭壇の位置が高くなったので手の届くところに、つり棚を作ってそこにおはなぎとロウソク立てとお召し椀を載せてお参りをしていた。
 我が家は150年ほど前に火災に遭い祖父母たちの手によって現在の家が建てられたといわれるので、今では神棚のあたりもすっかり煤だらけになっている。また、神棚の社宮も組み立て箇所も長い年月がたち、がたつき、丁寧に扱わないと壊れそうになっている。昔は神棚の社宮を組み立てるには御飯粒を竹べらでよく練って塗り竹釘で打ち止めたものだそうだ。
 私も80の半ばとなり、何時どうなるか分からない年齢となったが、仏壇や神棚は最後まで大事に敬い大事にしていきたいと念じている


   文・図 田辺雄司(石黒在住)