箱膳と食事時の席順
                             
 昭和30年代初めまでは大抵の家では箱膳を使っていました。箱膳は下の写真及び図のようなものであって、杉材で作られたものが普通でしたが、家長のお膳は特別に立派な造りでした。私の家では家長である祖父や父の膳はケヤキづくりの重いお膳であったことを憶えています。一方、子どものお膳は一回り小型でした。今でも思い出すのは、父が、当時海軍にいた弟に外国から買ってきてもらった象牙製の箸と箸入れをとても大切に扱っていたことです。
 箱膳は、食事時にホロ(作り付けの戸棚)から出して並べると各自が蓋を開けて裏返しにしてそこに、茶碗を出して並べました。(下写真)
 箱膳の中には飯汁茶碗の他に小皿や箸が入っていました。
 席順は下記の図の通り囲炉裏の横座脇に祖父が座り、対向かいが父の席でした。そして、男の子たちは東側に、祖母と母と女の子は棚もと(ホロ側)の席でした。
 このように車座になって真ん中に御飯鍋と味噌汁鍋を置きました。おかずは祖父から順々に取り回したので祖母や母の所へ鉢がまわっていく頃には残り少なくなっていることもありました。
 それから、私の子どもの頃は兄が19才で志願兵で満州に出征していたため陰膳をつくり家中で無事を祈りました。食事時ばかりではなく、夏には家の近くの泉から冷たい水を汲んできて供えたり、冬は満州は寒いところと聞いていたので熱いお湯を供えたりしました。出征している家に限らず、出稼ぎの家でも正月や節句などにはこのように陰膳が作られたのでした。
 食事が終わると茶碗を洗うということはせずにそのままお膳に納めて蓋をしてホロに積み上げて収納しました。御飯の後で茶碗にお湯を入れて漬け物で周りをこするようにして、そのお湯を皿にも移して洗うようにして、最後にそのお湯を飲んで食事を終わるのでした。祖母などは時には魚などのご馳走は半分残して箱膳にいれて置くこともありました。
 箱膳はたまにはタネ(家の脇の池)で洗いましたが特に定期的に洗う習慣はなかったので衛生面では問題があったでしょうが、毎食後に大家族の茶碗を洗い、食事の度に配膳する時間的な余裕などなかった当時では、合理的な食事の方法であったと思います。

           家長のお膳のつくり

       箱膳時代の食事時の家族の席順

               文・図 田辺雄司 石黒在住