補 記
       ゴゼの生活

「ゴゼは、幼い頃から、親方と言われる芸の師匠の所に住み込むか通うかして修業をしました。血のにじむような厳しい修行が終わって一人前になると親元で振る舞いをしてくれたそうです。それは一般の祝言(結婚式)にあたる振る舞いであり、結婚相手は一生を貫く芸道であったと言われます。
 そのあと、すぐに親方と旅に出たのです。もともとゴゼの生活は1年のうち盆と正月のほかは観音講の祭りに帰郷するだけでした。
 旅に出るのは、大体2〜3人一組で目が不自由なので、貧しい家の子どもを借りて手引きをさせたのでした。目的の村に入ると、次々と門付け(人家の門口に立ち、歌を唄い金品を貰う)して歩くのですが、宿は、各村でなじみの家が決まっていて泊めてもらっていました。宿料は無料で、この宿に近くの人が集まってきて唄を聞くのです。娯楽が少なかった昔はゴゼの芸は楽しみであったと思われます。
 したがってゴゼの収入もかなり多いものであったでしょう。稼いだ金は各組とも共同計算をしていたとのことですので親元はこの収入の一部によって生活が成り立ったと思われます。
 次に、ゴゼの旅支度は長着に腰巻き、手甲、脚絆に饅頭笠(以前は妻折り笠)をかぶり、三味線と杖、持ち袋(ゴゼ袋)、箱枕、腰枕などがありました。持ち袋は報酬として受けた米などを入れるもので、箱枕には大切な鑑札と三味線の糸、繕い針糸などが入れてありました。
 こうして長い旅を続ける生活の厳しさも、自分たちは修練で身につけた芸を売って生きているのだという強い自信と誇りのによってこそ耐えていくことが出来たのだと思います。」

    
参考文献 山田良平著 柏崎の民俗と余録