土間口と雁木
                           田辺雄司
 昔(昭和はじめ頃)は、どこの家も雁木(がんぎ)の右側(馬屋造りの馬屋の部分)に、土間口があり、その中の右側にはセンチ(大便所)がありました。また、センチのとなりには鶏やウサギなどを飼っている場所がありました。
 トマグチの左側の壁にはミノ掛けや笠掛けなどがありましたが、昔は丈夫な縄でいくつかの木のカギがぶら下げてありました。一本のカギにミノや笠、ニナワなどを下げておいて乾かしながら交替に使うのでした。
土間口

 カマ掛けも私の家では鶏小屋の脇に何丁も掛けられるようになっていましたしクワも壁の上の方に1本の棒を横にして下げ、その棒にクワの刃を上にして掛けておきまたので土間口が狭く感じるほどでした。
 土間口は、玄関口なので訪問客のほとんどの人はそこから出入りしましたが、お寺様や巡査、それに学校の先生や役場の人などは雁木から出入りしました。また、富山の薬売りや郵便屋さんやなども雁木に腰掛けて、よくお茶を飲んでいたものです。
 今でも忘れられないのは、字の読めない祖母が雁木で郵便屋さんに海軍に出征していた子どもの手紙を大きな声で読んでもらって涙を流して聞いていたことです。読んでもらうと「たっしゃ(無事)でいるようで、ほんにいいあんばいだ」と大事そうに手紙を懐に入れるのでした。
 このように、雁木は一般の人は出入りすることはなく、男尊女卑の習慣が未だ強かった当時は、女の人が雁木から入るなどは尼さんでもない限りなかったものでした。現在でも、雁木から上がるときには「高いところから失礼します」などと一言断るのが常識として残っています。
 冬が来ますと、土間口の入り口にヨシズ(ヨシで編んだス)立てかけてその外に雪だなを掛けておく家がほとんどでした。冬季の土間口は夏場に利用したミノなどは二階に収納して、代わりにミノボウシやワラボウシなどを掛けておきました。クワも取り片付けてコスキやカンジキなどを掛けておきました。
土間口と雁木の位置

 大切な訪問者が黒いマントを着てくると雪を払って囲炉裏のそばの焚き物置き場のところに掛けて乾かしてやるのが礼儀でした。
 現在ではどこの家の土間口も雁木も道具が少なくすっきりと片づいています。しかし、昔は、土間口にも雁木にも沢山の道具があって雑然とした感じでしたが、どれもなくてはならない道具であり、道具の少ない土間口はその家の貧しさを物語るものと思われたほどです。