食水とミンジョウ(台所)
                          
 昔(昭和のはじめ頃まで)は、食水は大方の家では横井戸から杉の木のトヨで引いていた。
 トヨは真っ直ぐな杉の木を縦割りにしたものにV字形の溝を掘ったものを何本もつないで作った。そして、引いた水はミンジョ(台所)の水桶にかけ流しにしてた。
 ミンジョには、入り口の奥には漬け物桶などが置いてあり、一方には風呂桶が置いてあった。だから、風呂の洗い場もなく風呂の中で洗う。大家族だからお湯も濁るほどであったであろうが、幸い薄暗いので気にならなかった。
 お湯が熱ければ、水船の水を入れる、ぬるければ薪をかまに入れる。子どもの頃は、風呂の中で騒ぐと、まわりにお湯が飛び散るのでおこらたものだった。
 炊事場も昭和のはじめの頃には、風呂桶の近くの床にまな板を置いて料理をしていた。
だから、たまに、お寺様や大切なお客が来たときにはそりゃ大変だった。 母親たちはお客が風呂に入っている間は風呂場の脇の炊事場では出来ないので、お客が湯に入る前に万事整えなければならなかった。
 居谷集落で横井戸のないのは18軒のうちに2、3軒で大抵の家はトヨをつかって水を引いていた。私の家では当時としては珍し鉛管を使っていたが、鉛管のつなぐ物は木で作った枕とよぶものだった。
 トイで引くと大雨になると濁った水が来るので、水をもらいに来た人がいたことを覚えている。その後水をひくトヨに板でふたをするようになったので雨になっても濁ることはなくなった。
 縦井戸も大抵、家の中と家の外の2カ所にある家が多かった。昔の人は地中に水脈のある場所をよく見定めて掘ったことを、子どもの頃から感心している。大抵の井戸の深さは7〜10mほどだ。縦井戸ほりでは地表に近いところに井戸わくを2、3本伏せる程度で後は入れないのがふつであった。地表に近い土は風化して崩れやすいからであろう。
 また、時々、井戸さらいとよんで、井戸の底に入って掃除をしたものだが子どもの頃は怖い仕事だと想ったものだ。
 昭和の半ばには塩化ビニル管が普及して遠いところからも水が引けるようになった。また、台所の改善もそのころから急速に進み、現在では水道、ガス、電気がつかわれ、当時の台所の様子は若い人には想像も出来ないものとなった。

文・田辺雄司 
(石黒在住)