もらい風呂の思い出
                     大橋洋子
 昭和45年頃までは、もらい風呂が行われました。
 その頃には、幼い頃の記憶にあるブラ提灯や六角提灯は、懐中電灯に変わっていました。風呂の燃料も薪から石油に変わった家もありました。石油の燃料は煙たい思いをしないで良いのですが、管に空気が入るとトラブルがあるのが欠点でした。
 風呂は毎日水を入れ替えず、あっため湯の多かった時代で、新湯にすると「今日は新湯だから」と夕方早めに、誘ったり誘われたりしました。
 冬場は、特にもらい湯の回数が多かったように思います。農閑期なので、燃料の節約をしたり風呂の手間を省いたためだったと思います。
 風呂上りの、世間話をしながらのお茶飲みがまた楽しい憩いのひと時になっていたように思います。

 春の頃には、毎年出稼ぎの酒屋から持ち帰った板粕をワタシで焼いてもらって食べました。今でも、あの焼き色と香りと味を懐かしく思い出します。
 また、もらい風呂の帰り道で見た、あの満天の星空は今でも忘れることができません。
〔福島在住〕