コタツの思い出
                           田辺雄司
 「ねら、人〔お客〕が来るから、スキー乗りにでも行ってこえや」と祖母に言われると、私たち兄弟は、シナダからそれぞれのフカグツを下ろしてもらって外に出ました。雪だなの下でスキーをはいて、ノノコの尻をまくり、家の近くでスキーに乗るのでした。
 しばらくすると、転んで下半身の衣服が濡れて冷たくなります。1時間も遊ぶと家に帰り、雪だなの先の方でスキーをはずして二枚をバーンバーンと合わせて打ち付けて雪をおとしました。
 そして、スキーは家の中に持って入りニワの焚き物小屋の所に立てかけておくのでした。それから、そっと座敷のコタツに潜り込むと、母が十能にオキを山盛りにして持ってきてコタツに入れてくれました。そして、いつもの熱いソバガキやコウセンを作ってくれたものでした。
  囲炉裏の傍にいたお客に、「ここの子どもは、ほんに好い子どもだのう」などと言われると、うれしくなって静かにコタツに潜り込んでいるのでした。
 コタツは冬になると子どもにとっては最良の場所でした。ここで、遊んだり本を読んだりと、家にいるときの大半はコタツで過ごしたものです。昔は兄弟姉妹が多いので互いの足を邪魔にして喧嘩をしたのもなつかしい思い出です。囲炉裏にオキ〔マキの燃えがら〕がでると「いいオキが出たすけコタツへ持って行け」といわれ十能で山盛りにオキをコタツに運んできたものでした。そして、熱つすぎると周りの灰でオキを覆うようにして火加減をしたものです。
 また、雪でぬれた着物は着替えてコタツヤグラの上に載せておくと翌朝までにすっかり乾いているのでした。
 夜になると、祖母はコタツで苧を細く爪で割いてつなぎ傍らの桶の中に溜めていました。母も私たちの正月着物などを縫っていました。また、時には祖父もコタツに入ってきて昔話を語ってくれることもありました。もともと胃弱であった祖父はよく背中を私たちに叩かせました。トントンとしばらく叩いていると「ああ、よくなった。ようした、ようした」と信玄袋から5銭ほどくれるのでした。冬はお金をもらっても隣村の商店までは行けないので箱膳の中にいれて大切にとって置いたものでした。
 また、風邪を引いたときには、コタツでご飯が食べられるのがもの珍しく楽しみなものでした。
 こうした子どもの頃のコタツの思い出は、今もなつかしく、思い出すたびにあのコタツの温もりを肌に感じるように思います。