馬 送 り

          田 辺 雄 司

昔、多くの家で馬が飼われている頃には、二軒で共同で飼うことが行われました。夏季は、大抵1ヶ月交代で飼っていたようです。共同飼育が行われたわけは、馬の糞は良質の堆肥となり水田をはじめ畑の肥料に必要だったからです。
 私の家でも、私が小さい頃から3月になると、馬を本家の馬屋に移動し田んぼ仕事が始まるまで飼ってもらいました。しかし、冬季の移動は大変でした。

 馬送りの前日の午後、父は、道幅4尺くらいの雪道を3時間も4時間もかけてカンジキをはいて踏み固めて作りました。
 子どもだった私は、父が作った道で跳びあがって足で穴を開けて遊びました。父は、それを見てまだ不十分と思ったのでしょう、そこに雪を盛って田の畦締めの木槌で叩いて固めたものです。
 道作りが終わる頃は薄暗くなり、道も凍ってガリガリになりました。父は「あしたの朝げは凍みてくれればいいがなあ」と独り言をいいながら帰ったことを憶えています。
 翌朝は、馬をニワに出して土間口〔玄関〕から引き出しました。馬は冬の間、9尺真四角の狭い中に閉じ込められていたので余ほど気持ちが良いらしく「ヒヒヒィン」といななき上機嫌の様子です。
 馬送りの人たちは、馬が暴れないで静かに歩くように豆の煮たものを少しずつ食べさせながら静かに歩かせました。本家の家は私の家からわずか50mも離れていないのですが1時間もかかりました。 
 馬は、元来、臆病な動物なので片足が雪にもぐってもバタバタと暴れるのです。女衆が後からムシロや畳の古いものをもってついて歩き、足のもぐる所ではそれらを敷いて歩かせて移動したものでした。

 移動後も時々、父は馬の様子を見に行っていました。私たちも、家族の一員のようにして飼っていた馬がいないとさびしい気持ちがしたものでした。