田 辺 雄 司
今、私の家の近くの畑の隅に立っている馬頭観音の下に4頭の馬が埋められています。
そのうちの2頭は、私がまだ生まれる前のことで分かりませんが、3頭目は私が小学校一年生の頃のことだったと思います。それまで飼っていた馬が年を取ったので馬喰に頼んで、お金を払って若い雌馬と取替えてもらいました。馬喰も知らなかったらしいのですが、その若い雌馬の腹には仔が入っていて翌春に仔馬が生まれたのです。
その仔馬が2、3日は元気で庭や土蔵の前あたりを跳び回っていたことを覚えています。ところが、親馬が仔馬を育てることを知らず乳を飲ませないのです。私の親は獣医と相談して重湯をつくって飲ませていましたが10日ほどは何とか生きていて遂に死んでしまいました。
私は学校の窓から仔馬の死骸がボイ〔低木〕でつくったソリに乗せられて村の人たちに引かれて行くのを見て、思わず学校から飛び出してソリの後をついて行きました。大人たちは畑に着くと大きな穴を掘り死骸を入れてロウソクを立てて経を唱えていたことを憶えています。
4頭目は、昭和27年ごろのことでした。私が関東電力に勤めていた頃、休暇をもらい家に米を貰いに帰っていた時で11月ごろだったと思います。夜、急に馬が苦しみだし寝転んで暴れだしました。
兄は軍隊で経験しているので足と手を縛り、腹にガスが溜まっているからと父と藁で腹をこすりました。するとこする度にガスが音を立てて出るので「屁が出れば大丈夫だ」と言ってパンパンに張った腹を汗だくになってこすりました。少し楽になったのか暴れなくなったので兄は夜明けを待って軍隊仲間で鵜川に住んでいた石田という獣医に電話をかけて診療を頼みました。
石田獣医は、早速、地蔵峠を越えて来てくれました。獣医の診断も腹にガスが溜まっているとのことで食べさせた物などを聞いていましたが、そのうち再び馬が暴れだしました。獣医はいろいろ処方を試みたのですがガスは出ません。獣医は、この馬は人間でいえば老齢でもあり、もうだめだろうと昼ごろに帰ったのですが、やはり夕方に息を引き取りました。兄が泣いていたことを憶えています。
早速、村中の人を頼んで500sもある馬を運ぶために大きなソリを作り例の畑に運びました。そして、本当は許可されないのですが、悪い病気ではないのだからと馬を解体して村中の人に肉を分けてやりました。残った頭と皮と骨を埋めてロウソクを立ててみんなでお経を唱えました。
私はそのとき、考えてみれば馬も家族同然に暮らしてきたのに、動物とは真に気の毒なものだ思ったことを今でも憶えています。
〔居谷在住〕
|