栽培ワタの種を取り除く手伝いの思い出
                         
 私が子どもの頃、私の家ではワタの栽培をしていました。ワタの栽培はそれまでも限られた家で行われていました。しかし、太平洋戦争で綿花の輸入が自由にできなくなり政府が栽培を奨励したため全国的に盛んに行われたのでした。
 ワタは、5月に種まきをして7月に芽止めをして畑の草とりをしました。
 そして10月には収穫しました。ワタの果実が割れて中のワタが飛び出す頃に収穫するのでした。綿花はちょうど鶏の卵ほどの大きさでした。
一個ずつ摘み取りカゴに入れて家に持ち帰りました。
 それから、ガクの部分を取り除き、更にリンゴの種ほどの大きさの種子も取り除きました。とくに、綿花の中に入っている小さな種子を取り除くのは大変根気のいる作業でした。綿の実は4個に分かれていて、それぞれその中心に種がありそれに綿がついているのです。これを指で綿を引き離して取り除くのは、子どもにはとても面倒くさい仕事でした。よく、祖母から「ねら、もっと丁寧にワタをとらんけら、もったいねえこてや」と注意されたものでした。
 当時は、10月は稲刈りの最中でしたから、両親は稲刈り作業で精一杯なので、祖母と毎日ワタの摘み取りと種を取のぞく作業をしたことを忘れません。
 こうして、処理したワタは、例年、松代町から買い取りに来る商人に売り渡すのでした。
 先日、下石黒の人が畑の端に植えて育てておられたワタを見せていただき、70年ぶりのことでとても懐かしい気持ちがしました。

       
田辺雄司 (居谷在住)