昔の衣類のこと
                          
 昔も着物には色々な名前のものがあり、またその着用も季節ごと、働く時、出かける時などによって異なり、数えるときりがありません。
 ですが、私は、一番思い出のある着物は「ノノコ-綿入れ」と呼ぶ学校へ通うときに着た着物です。
 それから、両親が土だらけになって働いたときの「山着物」が、改まったときに着る羽織などより余ほど思い出が深く感じられ懐かしく思い出されます。
筒袖-つつそで
 小さい頃に父と一緒のふとんの中で寝るときに、泥のにおいがするので「ドロくさい」と言うと父が、「毎日、田の中に入っているのだからなぁ」と言っていたことを思い出します。本当に毎日泥まみれになって働いていたんだなあ、と今にしてしみじみと思います。
 当時は、どこの家にも、下方〔シタカタ-座敷の入り口近く〕にカケダ〔カケザともいった〕と呼ぶ6〜7尺〔2m前後〕の棒を両端に縄をかけて吊るしてありました。その棒に作業用の衣服である山着物、モモヒキ、シャツなどかけて置きました。時にはその着物の上に青虫がとまっているのが座敷掃除のときに目にとまり、それをとって鶏にくれたこともありました。私には、あの泥臭いあの山着物が今でも不思議なほど懐かしく思い出されます。
 母は、冬になると家族の一人一人の「ノノコ」「あわせ」「ひとえ」の3種の着物を暗い石油ランプの灯りで縫っていました。その他、寒いときに一寸着る「そでなし」も作ってくれました。
 子どもの主な着物は筒袖〔つつそで-上写真〕でしたが、大人になると袂〔たもと〕のある着物を着ました。祖父が袂のある着物に角帯を締めていた姿を憶えています。
 村でも中流以下の家の家の父親たちは筒砲袖の着物でした。
 また、祖母や母は、ながし〔台所〕の仕事があるのでいつも「まいかけ」をつけて着物が汚れるのを防いでいました。
 あるとき隣の集落で色々な布を継ぎ合わせたような着物を着た人を見て家の人に聞くと、「それは、反物の買えない人が小さな布切れを縫い合わせて作ったきもので三十三端〔サンジュウサンパ〕という着物で、それを着ると長生きすると言われる縁起のよい着物だ」と教えてくれました。
 また、出稼ぎに行った人の中には商店の名前が襟などに入った印半てんをもらってきて着ていました。また、厚い生地の前掛けなどもらって帰って使っている人もいました。
 それから、冬ノノコ〔綿入れ〕を着るときには必ずと言ってよいほど下着として、一重〔ひとえ−裏地のない着物〕の古くて夏に着れないものを着ていました。これは綿入れが直接肌にふれて汚れないためと保温のためでした。

 私は今でも冬から春まで、夜は風呂上りから布団に入るまで綿入れを着てコタツに入っています。とても、暖かく、時々、子どもの頃が思い出されます。
        文・田辺雄司〔居谷在住〕