蚊帳と夕立の思い出   
                          
 今も土蔵の大箱の中に大小の蚊帳がある。それを見ると遠い昔のことがなつかしく甦る。夏になり、初めて蚊帳を張ったときには嬉しい気分になって蚊帳の中で弟や妹とふざけあうのだった。時には蚊帳を吊っているヒモを切ってしまい母に怒られたこともあった。
 夏になると毎日のように夕立があり、雨の前には雷が鳴った。子ども達は、雷が鳴ると蚊帳の中に入ってじっとしていた。祖母は火を点けた線香をガンギに持ち出してナンマンダブツと手を合わせて空を拝んでいたものだった。
 夕立は雷から始まり短い時間烈しい雨が降って終わり、薄日が差して東の方に美しい虹がでることが多かった。すると再びにぎやかなセミの鳴き声がミンミン、ジージーと再び聞こえてくる。
 祖父は雨が止むのを待って横穴から桑の葉を出して座敷のカイコにくれている。私たち子どもも外にでて、雷の鳴る前までの遊びのつづきを始めたものだった。
 夕方になるとそれまで鳴いていたミンミンやジージーの声に変わり一斉にヒグラシが鳴き始める。カナカナカナという鳴き声は1日の終わりを告げるように淋しく聞こえた。こうして長い夏の1日も終わり、山の端に太陽が沈むとカナカナの鳴き声もいつしか止んで、夜のとばりにつつまれていく。
 私は大急ぎで家に帰ると、受け持ちの仕事であるランプのホヤ磨きをしてから、板の間の雑巾かけをする。座敷にはカイコの棚が作られ、夏のこの頃は板の間も少なくなって雑巾がけも楽であった。
 夕飯は石油ランプの下で一家賑やかであった。夕食の後は外に出てホタルを捕まえて遊び、遊び疲れて蚊帳をめくってフトンに入ると、すぐ寝入ったものだった。蚊帳の裾に顔をのせてゆだれを垂れて寝ていて、朝になると蚊帳の染料で頬に蚊帳のあとがくっきりと付いていて笑われたこともあった。
 今も、夏の虫干しのおりに蚊帳を見ると、遠い当時〔昭和のはじめ〕のことがなつかしく思い出される。

     文・ 田辺雄(石黒在住)